本邦レーベルによる制作を含めた数多くの国内盤を通じて、日本での人気が高いスウェーデン人ピアニスト、ヤン・ラングレン(1966~)は現在、ドイツACTからのコンスタントなアルバム・リリースによって欧州での確固たる評価を確立。2022年10月にはハンス・バッケンロス(b)とのデュオ作『The Gallery Concerts II: Jazz Poetry』(ACT)が登場した。また2010年に創設された《Ystad Sweden Jazz Festival》の芸術監督として、同祭の成長に尽力しており、2021年には《Ystad Winter Piano Fest》を新設。ジャズの普及活動においてもキャリアを重ねている。単身で4年ぶりに来日したタイミングでインタヴューを行った。
――ハンス・バッケンロスとの共演は、いつから始まったのですか?
JL:ずいぶん前ですよ(笑)。90年代の初めからになります。
――ハンスとの共演歴が長いにもかかわらず、デュオとしての共演も録音もありませんでした。新作『The Gallery Concerts II: Jazz Poetry』まで、何故デュオ・コンサートの実現に長い時間がかかったのでしょうか?
JL:いい質問ですね。何故なのか、考えてみると不思議です。ハンスと私は長年、様々なプロジェクトで共演してきました。ただお互いに多忙で、私がスウェーデン南部のイースタッド、ハンスがストックホルム在住と、距離があるため、頻繁に会う環境ではなかったのです。ようやくそのタイミングが訪れて、今年の5月にベルリンでコンサートが実現しました。
――その公演が実現した経緯を教えてください。
JL:『The Gallery Concerts』はACTのプロデューサー、シギ・ロッホが『Jazz at Berlin Philharmonic』に続いて考案した新しいシリーズ。彼に新作の提案をしたところ、ギャラリー・コンサートのアイデアを受けたので、ハンスとの共演を申し出たというわけです。もしこの話がなければ、ハンスとのデュオが実現するのはもっと先になったでしょうね。永遠にない、ということはないでしょうが。
――デュオを演奏する時の秘訣はありますか?
JL:これまでにニルス・ラングレン(tb)、ラッセ・トーンクヴィスト(cor)、プッテ・ウィックマン(cl)、ゲオルグ・リーデル(b)らとのデュオ・アルバムを制作しています。ピアニストとしてソロやデュオを演奏する時には、豊かな知識と経験が必要だと思っています。その意味で、30代までの私はまだその準備ができていませんでした。最善の方法で演奏するためには、まだ経験が足りなかった。自分が若かった頃はソロやデュオが難しいと思っていたのです。ベースとドラムのリズム・セクションと共演する時とは異なるので。
デュオは共演者が良いミュージシャンであればあるほど、演奏しやすくなります。シンプルな編成ゆえに、お互いのタイム感覚が合うことが重要です。オスカー・ピーターソンやビル・エヴァンスは聴けばすぐにわかる個性的なサウンドの持ち主。ミュージシャンそれぞれが異なるスタイル、サウンド、レパートリーを持っているので、お互いの自由を保ちながら協調することが大切だと思います。
――ゲオリグ・リーデルはヤン・ヨハンソン(p)の『Jazz På Svenska』(62~64年)のデュオ・パートナーでもありました。ギャラリー・コンサートでは同作を意識しましたか?
JL:特に意識することはありませんでした。これはスウェーデンで大ヒットした、誰もが知るアルバムですね。
――新作の録音会場であるベルリンのACTアート・コレクション・ギャラリーについて教えてください。
JL: 10年前にオープンしたシギ・ロッホが運営する、約50席の小さなプラヴェート・ギャラリーです。新作のコンサート以前にもここで観客を前にソロで演奏したことはあります。録音されたかもしれませんが、まだアルバム化はされていないですね。
――アルバム名『Jazz Poetry』の由来は?
JL:私が命名しました。音楽は美しく、エキサイティングで、聴き手が人生で重要なものは何かを考えるもの、聴き手に影響を与えるものであるべきだと思っています。優れた詩には同じ要素があることが、命名の由来です。音楽の中で詩を表現することがアルバム・コンセプトになっています。
――全10曲の収録曲は実際のコンサートと同じ曲順ですか?
JL:曲順はコンサートと同じです。1つだけアルバム未収録曲があります。
――ご自身のオリジナルの3曲を含めて、選曲のコンセプトは?
JL:ハンスと私はモダン・ジャズの伝統を踏まえているので、スタンダード・ナンバーの「星影のステラ」やオスカー・ペティフォード作曲の「トリコティズム」を選曲しました。また北欧のフォーク・ソングから「ゴーシエンタ」、新しいフォーク・ミュージックの「ポルスカNo.1」(マッツ・エデーン作曲)、とても詩的なレナード・コーエン作「ア・サウザンド・キッシズ・ディープ」、クラシック音楽からはモーツァルトの「ラクリモーザ」。様々なジャンルからの楽曲を一つのパッケージに収めることを企図しました。
――自作の②「The Unexpected Return」は昨日のコンサート(武蔵野市民文化会館)では、ソロで演奏されました。
JL:2013年に他界したスウェーデン人ピアニストのベンクト・ハルベルクに捧げて作曲しました。彼は病気の妻を看護するため、99年に演奏を止めました。彼女は10年間、闘病生活を送っていたのですが、2009年に逝去。その後、2010年に彼は復帰を決意して見事にカムバックし、スウェーデンの人々にとっては大きな驚きとなりました。彼は私の師であり、2011年には私とのピアノ・デュオ作『Back To Back』(Volenza)をリリースしています。この曲は彼の予期せぬ復活に捧げたオリジナルで、新作が初収録になります。
――ハンス・バッケンロスが特別である点とは?
JL:彼はベースのヴァチュオーソ。とてもいいサウンドを持っています。北欧のジャズ・ベースの伝統~ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン、パレ・ダニエルソン~らと、アメリカのベーシスト~ロン・カーター、レイ・ブラウン、ジョージ・ムラーツ(出身はチェコ)~らの、2つの世界を結び付けているのが特別だと思います。人格も円満ですね。生年月日は私が1日だけ彼より年上なんですよ。ミュージシャンとしてだけでなく、人間的にも好きな男です。
――昨年《Ystad Winter Piano Fest》を創設した理由は?
JL:これもいい質問ですね(笑)。その時が来た、ということです。私は常にジャズを世の中に広めたいと考えています。YSJFは素晴らしい組織とスタッフに恵まれています。この新しいフェスは私とYSJFの会長であるトーマス・ランツの発案。私が住むイースタッドは小さな都市で、夏場は様々な文化イヴェントが開催されますが、冬場は少なかった。だからこの時期に新しいイヴェントを創設することは有意義だったのです。
――昨年の出演者はヨハンナ・サマー、ニック・ベルチュ、ヤコブ・カールソン、マリアリー・パチェーコ、イーロ・ランタラ。人選のポリシーは?
JL:YSJFのポリシーと共通する部分があります。もちろんスウェーデン人に加えて、めったにスウェーデンに来ないピアニストの招聘も人選のポイント。キューバ出身のマリアリー・パチェーコがスウェーデンに来たのは、確か2回。フィンランドのイーロ・ランタラは頻繁に我が国へ来る機会はなく、ドイツのヨハンナ・サマーは、この時が初めて。新顔と私を含めたスウェディッシュを組み合わせたラインアップです。
――昨年のフェスの反響は?
JL:とても好評でした。コロナ禍でもあり、私たち主催者の期待はそれほど高かったわけではないにもかかわらず、多くの人々にご来場いただけました。
――今年は12月28、29日の開催。ジェイムズ・フランシーズからボボ・ステンソンまで、ヴァラエティ豊かな顔ぶれです。
JL:人選のコンセプトは昨年とほとんど同じです。ジェイムズ・フランシーズはイースタッドに初登場。アメリカのジョン・ビーズリーはリーダー名義としてのスウェーデン公演は、今回が初めてです。
――昨年はYWPFと同時に《Ystad Jazz Piano Award》が創設されました。
JL:私がマルモの音楽大学の准教授としての教育活動を通じて、次世代の若者を支援することが重要だと考えて創設しました。第1回の受賞者はデンマークのピアニストZier Romme(ジアー・ロム)。選考にあたっては、将来性も含めて「才能」が最も重要な要素だと考えています。
――第2回となる2022年度の受賞者はアイスランド出身のAnna Gréta Sigurdardottir(アンナ・グレタ・シーグルザルドッティル)に決定しました。
JL:アンナ・グレタは現在ストックホルム在住。シンガーでもありますが、あくまでもピアニストとしての才能にフォーカスした選出です。王道的なジャズを踏まえながら、それとも違うスタイルで、個性的な音楽制作の方法を身に付けている、興味深い音楽性の持ち主。昨年ACTからリーダー作『Nightjar in the Northern Sky』を出していますが、それが選考を左右したわけではありません。彼女は今年のYWPFに出演します。
――アイスランド出身のジャズ・ミュージシャンに特別な個性を感じますか?
JL:彼らの一部にはビヨーク(vo)からの影響が認められると、私は考えています。アイスランドにオリジナルで一般的なジャズ・サウンドが存在するかどうかについては、よくわかりませんが。
――この賞を将来的にどのように成長させたいと考えていますか?
JL:奨学金(25,000スウェーデン・クローナ)を含めて大型の賞ではないので、将来的にはできれば増額して若いピアニストをサポートすることが目標です。
(2022年11月6日、東京・スウェーデン大使館で取材)