スウェーデン南端の都市で開催される《イースタッド・スウェーデン・ジャズ・フェスティヴァル》は、同地に在住するピアニストのヤン・ラングレンが芸術監督を務める音楽祭。その最終日は異例の早朝野外コンサートで幕を開けた。ニルス・ペッター・モルヴェル(tp)が出演する会場のアレス・ステナーは、本祭中心地から18キロのバルト海沿岸に位置する古代遺跡の中。ホテル近くから関係者専用バスで出発し、駐車場で下車してから20分ほど歩いて到着した。
開演前にニルスと談笑。かたわらにいたお嬢さんを紹介してくれた。ノルウェー発祥のフューチャー・ジャズの象徴的アーティストであるニルスを、ラングレンがYSJFのためにブッキングしたのが面白い。ラングレンによれば、このような野外ライヴは本祭では初めてで、ニルスとの共演歴もないとのこと。一つの冒険的なプログラムだと言っていいだろう。
Nils Petter Molvaer
5:20に始まったステージはLaptopを操作しながらトランペットを吹くワンマン・パフォーマンス。そのサウンド自体はファンにはお馴染みのもの。しかしCDや屋内会場ではなく、特殊な環境で聴くのは、音楽と自然がお互いに影響し合い、それらを全身で味わうような感覚に包まれて新鮮だった。
約60分の演奏が終わり、観客の流れにしたがって駐車場へ向かう。バスを待っている間、周囲の人々が次々と自家用車で去っていき、関係者と思われる人がいなくなってしまった。もしかして違う場所に来てしまったのか。しばらく待機したが、バスが来る気配はなく、不安が募るばかり。今回の取材旅行は何度かトラブルが発生したが、この時ばかりはもうダメだと腹を括った。地面に座っていたその時、一人の男性から声を掛けられた。一昨日ホテルの朝食で知り合ったスイスの雑誌「Jazz ‘n’ More」の編集長Ruedi Ankliだった。知り合いと一緒に車で来たという。事情を話すと、同乗をOKしてくれた。またしてもギリギリのタイミングでの好転。「あそこのバスが君を待っているんじゃないか?」。200メートルほど先を見ると、確かに往路で乗車したのと同じバスが停車している。急いで行ってみると、その通りだった。一安心すると同時に、何故バスの存在に気付かなかったのかを反省した。
Claire Martin
ホテルに戻って体を休め、気持ちをリセットして11:00@Per Helsasgard公演へ向かう。“Celebrating the Music of Wes Montgomery”と題したステージは英国のトップ女性歌手クレア・マーティンのプロジェクト。68年に45歳で逝去したウェス・モンゴメリー(g)の没後50年に因んだ企画で、関連作はまだリリースされていない。会場に入って席を確保すると、最前列に知り合いを発見。近づいて挨拶したのは、昨年私に声を掛けてくれたスヴェンド・アスムッセン夫人で、嬉しい再会となった。
マーティンとウェスの関係はノーマークだったが、「柳よ泣いておくれ」、早口の歌唱によるマーク・ウィンクラー作詞曲「フォー・オン・シックス」、スキャット&ギター・ユニゾンの「フル・ハウス」、R&B調の「ゴーイング・アウト・オブ・マイ・ヘッド」と、プログラムが進むにつれてマーティンがウェスをよく研究した上で、このプロジェクトに取り組んだ姿勢が浮き彫りになった。バンド・メンバーで注目されるギタリストをモリシー=ミュレンのジム・ミュレンが務めることも目玉となったが、不参加の旨がマーティンから発表。代打で出演したのはスウェーデンの若手Erik Söderlind.で、ウェスを吸収したスタイルとスキルにより十分に役割を全うしたことを印象付けた。日本でも人気のマグナス・ヨルト(p)が自身のトリオとは異なり、米モダン・ジャズの基本的流儀を体得していることを示したのは発見だった。
Bill Evans
13:00開演のBill Evans & Ulf Wakenius @Ystad Saltsjobadへ、30分の徒歩移動。その途中、車の男性から声を掛けられて乗車。私をライヴ会場で見かけていたので、Saltsjobadへ行くのかなと思ったとのこと。昨年もこのようなことがあって、それは関係者だったのだが、この時は一般のジャズ・ファン。スウェーデンではこういうことが起こるのだ。
ビル・エヴァンス(ts,ss)はマイルス・デイヴィス(tp)が復帰した81年の来日公演@新宿西口広場(東京都庁ができる前の場所)で初めて観ていて、その後のソロ・キャリアもウォッチしてきた。
このバンドはオスカー・ピーターソン・グループに抜擢されてキャリアアップしたウルフ・ワケニウス(g)との双頭カルテットで、電気ベースはヤン・グンナル・ホフ(p,key)とのフュージョン・トリオ・プロジェクトBarxetaを主宰するペル・マティセン、ドラムはスティーリー・ダンのツアー・メンバーとして名を挙げたキース・カーロック。サイドマンを掘る楽しみを用意してくれたエヴァンスはアンコールで、「ウルフのリクエストでぼくのマイルス・デイヴィス時代の曲をやります」とアナウンスして、「ジャン・ピエール」を演奏。ファンには嬉しいプレゼントとなった。
終演後、30分の帰路につくと、会場からほどない場所で往路に出会った車のシニア男性から、「次はHos Morten Caféかい?」と声掛けされて、フェス中心部まで同乗。今日は不運と幸運が重なって大忙しだ。車中ではマイルスの話で盛り上がり、「You know everything」に落着した。
Almaz Yebio & Karl-Martin Almqvist
15;00@Hos Morten Caféは女性歌手Almaz Yebio率いるTwist ‘n’ Shout公演。96年から2000年にかけてスウェーデン国内でライヴ活動を続け、その後の休止期間を経て2016年に再始動。昨年『Notebook』をリリースした。開演前に楽屋から出てきたカール=マルティン・アンクヴィスト(ts)と立ち話。昨年の《東京JAZZ》で「ジャズ100年」を演じたデンマーク・ラジオ・ビッグ・バンドのメンバーだったという。当日はNHKホールで鑑賞したが、アンクヴィストのことはノーマークだった。
夜の部は劇場でリズ・ライト(vo)を観た後、最終公演となるNils Landgren & Jan Lundgren with friendsをアリーナで鑑賞。二人のデュオで始まり、今回の同祭に出演したパオロ・フレス(tp)、ユッカ・ペルコ(as)、ウォルフガング・ハフナー(ds)がゲストで登場。最後はヤン・ラングレン・トリオ、ニルス・ラングレン・ファンク・ユニット、ストリオン・オーケストラが一堂に会して、豪華なフィナーレを迎えた。
Nils & Jan with friends
帰国はヘルシンキ経由のFinnair。入国審査は出発地のコペンハーゲンではなく、乗り換え地のヘルシンキで、まずセルフで顔写真を撮影した後に係官からの問審を受ける。この乗り換えは55分だったのだが、出発が遅れたため、さらに時間の余裕がない状況。ようやく入国審査まで辿り着いたと思った時に、放送で名前を呼ばれてしまった。「搭乗口まで急いでください」と言われても、この状況じゃ無理ですよ。5分前に着いたら、係員から「早かったですね」。色々なことがあったが、ここに辿り着けたので、あとは成田への無事到着を祈るばかりだ。
午前8時過ぎに成田空港に到着し、預けた荷物を待つ。すると移動レーンの警告ボードに「SUGITA」の表記が。私のことか、別の杉田さんなのか。不安を抱えつつJALのカウンターへ移動。調べてもらうと、私の荷物がヘルシンキから成田行の便に積まれなかったとのこと。前述の私の乗り換え状況を踏まえれば、これは最初から無理な話。乗客全員搭乗を優先した処置なのだった。係員の説明によるとヘルシンキ空港は比較的コンパクトな設計のため、乗り継ぎ時間が短く組まれる傾向にあり、それが荷物の積み残しに繋がっているそうだ。キャリーケースは翌日、宅急便で届けられた。最後の最後まで、トラブル続きの旅であった。