昨年発生したコロナ禍以降、ジャズ・ミュージシャンの訃報が毎月絶えない状況が続いている。3月に入って公表されたのは米国人ドラマーのラルフ・ピーターソンJr.(1962~2021、58歳)と、邦人ドラマーの村上“ポンタ”秀一(1951~2021、70歳)だ。共に平均寿命(米国人男性:76.2歳、日本人男性:81.41歳)と比べると、10歳以上若い逝去である。
ラルフ・ピーターソンJr.(以下ピーターソン)は3月1日に米マサチューセッツ州ノースダートマスでがんによる合併症のため他界。ピーターソンが日本で知られるきっかけとなったのは、86年リリースのO.T.B.のデビュー作『Out Of The Blue』だった。新生Blue Note Recordsが売り出した若手セクステットで、再出発を切ったレーベルの新鮮なイメージ効果を生み、大きな話題を呼んだ。私のピーターソンに対する当時の第一印象は“破天荒”。同作のオープニング・ナンバー「RHファクター」(ロバート・ハースト作曲)を改めて聴いてみると、その印象は今も変わらない。時系列で言えば、O.T.B.は同作の登場よりも前の86年8月に《マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル》で本邦デビューを果たしており、そのステージは87年リリースの『Live At Mt. Fuji』(Blue Note)に収録されている。
『Live At Mt. Fuji』試聴:
https://open.spotify.com/album/0qpBORkJs4YFr3jYUPPwv6
ピーターソンの初リーダー作は本邦レーベルsomethin’elseの制作による88年リリースの『V』。テレンス・ブランチャード(tp)、ジェリ・アレン(p)が参加のクインテットによる演奏は、O.T.B.作以上にピーターソンのスタイルとリーダーシップを強烈に打ち出した内容で、全6曲中5曲を自身のオリジナルで固めて、作曲家の才能もアピールした。同作はジャズ・ディスク大賞・金賞を受賞し、ピーターソンの人気と評価を決定づけている。
ピーターソンが93年までにsomethin’elseからリリースした6タイトルのうち、最も愛着があるのが第2弾の『Triangular』(88年)だ。アレン(p)、エシェ・オコン・エシェ、フィル・ボウラー(b)とのトリオが、メンバーのオリジナル曲を中心に演奏したもの。特に惹かれたのがデンジル・ベスト作曲の「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」で、彼らが56年のセロニアス・モンク(p)・トリオ・ヴァージョンを参考にしたことは想像に難くないが、楽器間のテンポのずれから生じるサウンドは新鮮に響いた。私がアレンの追っかけだったのも、贔屓の理由である。
ピーターソンは2000年代前半にオランダCriss Crossから4タイトルをリリース。日本でも人気のレーベルということもあって、輸入盤を通じて最新の動向は継続的にウォッチされていたと思う。状況が変わったのは、2010年に自主レーベルOnyx Productionsを設立したことだ。自分が作りたいアルバムを自由に制作できる環境を手に入れたために、創作意欲がさらに増大。カルテットのユニティ・プロジェクト名義作『Outer Reaches』を皮切りに、90年のアルバム・デビュー以来、断続的に発表していたフォテットの『The Duality Perspective』、トリオの『Triangular III』、ゲイリー・トーマス(ts,fl)、ヴィジェイ・アイヤー(p)参加のクインテットAggregate Prime名義作『Dream Deferred』、Ralph Peterson & The Messenger Legacy名義作『Legacy Alive Vol.6』、若手の育成を兼ねたGen-Next Big Band名義作『Listen Up!』等、11タイトルを発表した。
2020年リリースの最新作『Onward & Upward』は、83年アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのセカンド・ドラマーに抜擢されたピーターソンが、ブレイキーが他界する91年まで断続的に助演した恩師の遺産を継承~発展させるべく発足したThe Messenger Legacyの成果。ブライアン・リンチ(tp)、ロビン・ユーバンクス(tb)、ビル・ピアース(ts)ら、JMのOBを中心とした17名の協力を得て、参加者提供の新曲で構成した意義深い内容である。
●『Onward & Upward』試聴:
アート・ブレイキー(1919~90)が71歳の天寿を全うしたことを踏まえると、ピーターソンの永眠はあまりに早いと言うしかない。今後somethin’elseの作品がデジタル・プラットフォームで公開され、さらに広く聴かれる機会が増えることを願う。
村上“ポンタ”秀一は3月9日に視床出血のため東京都内の病院で死去した。報道されたのは3月15日で、公式ホームページで公表。このタイムラグは葬儀・告別式を親族のみで執り行ったためだと思われる。
私は70年代にリアルタイムで接した新しい音楽――キャンディーズ「年下の男の子」、ザ・スリー・ディグリーズ「にがい涙」、イルカ「なごり雪」、大貫妙子「サマー・コネクション」――を通じて、村上の演奏とは知らずに村上を聴いていた。当時、初めて村上の名前を意識したアルバムは、78年リリースの山下達郎『It’s A Poppin’ Time』だ。ヤマタツはシュガー・ベイブ時代から聴いていて、「ライトミュージック」誌に“シテイ・ポップ”と紹介されたと記憶する。76年の初リーダー作『Circus Town』は米国録音で、77年の第2作『Spacy』は村上参加ながら、LPを買って聴いた私の記憶に村上の名前は残らなかった。
『It’s A Poppin’Time』(RCA)は78年3月、六本木ピットイン録音の2枚組ライヴLPが原盤。2枚組はレコード会社の英断だったのではないだろうか。参加メンバーは土岐英史(as,ss)、坂本龍一(key)、松木恒秀(g)、岡沢章(b)、村上“ポンタ”秀一(ds)、吉田美奈子(b-vo)と、その後の歴史を見れば実力者が集結していたことが明らかで、録音エンジニアは吉田保、マスタリング・エンジニアは小鉄徹の布陣だった。43年前の作品を十数年ぶりに聴いてみると、ヤマタツの声の若さが印象的なのと同時に、リーダーのサポート・バンドという関係ではなく、メンバー全員が積極的に音作りに関わっている様子が伝わってくる。村上にとっては、数多くのサポート仕事の一つではなく、発展途上の才人山下に寄与したい思いがあったのではないだろうか。その後の村上は『Go Ahead!』(78年)、『Moonglow』(79年)でヤマタツをサポートしている。
村上が70年代に残したジャズ~フュージョン仕事で特筆すべきが、渡辺香津美(g)の2タイトルだ。いずれも79年リリース作で、1枚目はスタジオ録音の『KYLYN』。これは渡辺の77年発表作『Olive’s Step』に参加した坂本龍一(p,key,syn)が、プロデューサー兼務で参画し、ジャズ、フュージョン、ポップス界で活躍中の著名邦人ミュージシャンが集結した、渡辺のキャリアおよびフュージョン史にあってエポックメイキングとなったアルバム。村上は全9曲中、3曲に参加しており、そのうちの「マイルストーンズ」は斬新なアレンジとタイトなサウンドが、マイルス・デイヴィス・ヴァージョンで親しんでいたジャズ・ファンに衝撃を与えた。
2枚目の『KYLYN LIVE』(Better Days)は前作参加のメンバー9名によって行われた全国ツアーから、79年6月の“六本木ピットイン”3デイズを収録した2枚組。全9曲中、前作の再演は2曲にとどまっており、制作者には単なる『KYLYN』のライヴ・ヴァージョンではない企図があったと想像できる。本作はKYLYN BANDの一員として村上が全面参加した点でも価値が高い。再演曲の「マイルストーンズ」はテーマ抜きで始まり、スタジオ・ヴァージョンとは異なるアレンジで展開しながら、エンド・テーマに至る。バンドが短期間で変化・成長したことが明らかになるトラックだ。他のメンバーは向井滋春(tb)、清水靖晃(ts,b-vo)、本多俊之(as,ss,b-vo)、坂本龍一(p,key,syn,b-vo)、矢野顕子(key,vo)、小原礼(el-b,b-vo)、ペッカー(per,vo)。村上を除いても、現在では再現が不可能なジャパニーズ・オールスターズである。
村上がリーダーとしてジャズ界に残した最も大きい足跡はPONTA BOXだ。佐山雅弘(p)、水野正敏(b)と93年に結成したトリオで、94年にデビュー作『PONTA BOX』をリリース。フュージョン~ポップス畑で豊富な経験を築いた村上がリーダーとなったユニットであり、ジャズ・ピアニストとして知名度を得ていた佐山と組んだことと合わせて、大きな話題を呼んだ。またタヌキの顔のイラスト(杉浦茂の「八百八だぬき」)がアルバム・カヴァーに使用され、以降トレードマークとなったのは、親近感を抱かせた点でも良いアイデアだったと思う。
彼らは95年にスイス《モントルー・ジャズ祭》に出演し、そのステージは翌年に第3弾『Live At The Montreux Jazz Festival』としてリリースされた。前半の6曲にマイルス・デイヴィス関連曲を配置し、最終曲をビル・エヴァンス(p)が68年の《モントルー》で演奏した「ナルディス」で締め括った構成は、PONTA BOXの作品の中で最もジャズ色が濃いと言えるだろう。
●『Live At The Montreux Jazz Festival』試聴:
村上の演奏シーンを収めた動画は数多く公開されているが、最後にオフィシャルなものから一つご紹介して故人の冥福を祈りたい。
●『松岡直也&ウィシング・ライヴ~音楽活動60周年記念~』: