死後37年が経った今も未発表作がリリースされ続けているビル・エヴァンスに比べて、キース・ジャレットは現役であり、ECM専属アーティストということもあって、他のレーベルからお宝作が発掘される機会は少ない。その点で今回登場した本作は、非常に珍しい2枚組LPだ。
作品の背景を確認しておきたい。まず指摘されるべきは、1972年はオリジナル公式盤が残されなかった年であること。それを埋めるのがアイアート『フリー』、フレディ・ハバード『スカイ・ダイヴ』、ポール・モチアン『コンセプション・ヴェッセル』の参加3作。その状況が『ハンブルク ‘72』(ECM)の登場によって劇的に変化したことは、記憶に新しい。71年11月録音の『フェイシング・ユー』でマンフレート・アイヒャーのECMとキースが歴史的な成果を挙げたことを受けて、アイヒャーは72年にアメリカン・トリオ初のヨーロッパ・ツアーを企画。6月にハンガリー、フランス、ドイツのライヴが実現した。それらは年季の入ったファンならば、北ドイツ放送(NDR)がライヴ音源をLP化した年度版シリーズ『Norddeutscher Rundfunk Jazz Workshop』で一部がお馴染みのはず。廃盤市場で高価取引されていた同盤をそれなりの値段で入手したのは、今ではLPコレクターに全力投球をしていた自分史として懐かしく思う。
選曲を精査すると、1曲目のキース作「コラール」がいきなり興味深い。初演は本作の9ヵ月後に録音されたゲイリー・バートン『The New Quartet』で、78年の『Times Square』でも再演しているのだが、キースの公式作では録音していない。つまり当時のアメリカン・トリオのライヴ・レパートリーを、70年のダブル・リーダー作でキースと共演していたバートンが採用した、ということだ。この曲は72年に出版登録されており、『The Real Book Vol.1』に収録されたことでミュージシャンの間に広まったものと思われる。リリカルなピアノ・イントロからトリオ合奏に移っても、スローで同じムードを保ちながら進行。後半ではチャーリー・ヘイデンのスピリチュアルなベース・ソロが、楽曲にさらなる彩りを加える。アメリカン・カルテット作『バース』からの「フォーゲット・ユア・メモリーズ」は、ゴスペル・タッチのピアノを皮切りに、全員がフリー・スタイルへと突入。68年の『サムホエア・ビフォー』で明らかになっていたトリオの音楽性が全開になる。ソプラノに持ち替えたキースの演奏からはジョン・コルトレーン、アーチー・シェップ、オーネット・コールマンが混然一体となったスタイルが感じられて、本トリオが60年代のジャズが残した遺産をしっかりと継承していたことが明らかだ。
もう一つ指摘したい選曲のポイントは、『エクスペクテイションズ』(71年)から最多の4曲が入ったこと。同作は米国カルテットのメンバーやギター、パーカッション、弦楽四重奏、ブラス・セクションが様々に組み合わせられた異色の2LPで、本作とは編成が異なる点が重要だ。「テイク・ミー・バック」はトリオがエネルギッシュに燃え上がるナンバーで、キースは途中でタンバリンに持ち替えて二人を煽る場面も。中間部に出てくるメロディもキースらしさを体現する。「エクスペクテイションズ」は5分30秒までほぼピアノ独奏状態であり、ソロ・コンサートと同じようなパフォーマンスには、ベースが引き継ぐ直前のソロ終わりに、思わず観客から拍手が沸き起こったほどの感動を呼ぶ。
同日の音源は先にブートレグ2CD『Paris 1972』(Jazztime)が登場していて、同作は本作よりも1曲多い。また本作の5日後のトリオ・ライヴは2014年にセカンド・セットが『ハンフルク ‘72』(ECM)で公式盤化されたが、本作と重複するのは6曲中2曲。ファースト&セカンド・セット収録の2CD『Hamburg Concert』(Jazz Hour)ですら3曲にとどまり、この時の欧州ツアーはステージごとにセットリストを変えていたようだ。なお発売元のDOLはマイルス・デイヴィスやパット・メセニーのライヴ音源をLP化しており、それらと同じく本作も180グラム重量盤仕様である。