ピアニストのキース・ジャレット(73)は昨年、告知されていた活動をすべてキャンセルして、健康不安への憶測が広がった。その一方で、2018年はトリオ作『アフター・ザ・フォール』(1998年録音)とソロ作『ラ・フェニーチェ』(2006年録音)の2タイトルがリリースされて、ファンへの朗報となった。
今回発売されるのは4年ぶりのクラシック作品となる『J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻』(『The Well-Tempered Clavier, Book I』)。キースは87年2月に米ニュージャージー州の自宅スタジオでレコーディングを行い、その音源は88年に同名の2枚組アルバムとして世に出た。
今回の新作はスタジオ録音の翌月にあたる87年3月7日に、ニューヨークのトロイ貯蓄銀行音楽ホールで行われたコンサートを収録したライヴ・アルバム。アメリカでホールでのソロ・コンサートが軌道に乗り始めた76年以降、ニューヨークではメトロポリタン・オペラハウス、カーネギー・ホール、エヴリフィッシャー・ホールが中心であり、この時が初出演だったと思われるトロイ貯蓄銀行音楽ホールでのステージがアルバム化されるのは、本作が初めてだ。
本作『第1巻』は24の前奏曲とフーガ(BWV 846~869)を収めた全48トラックからなる2枚組。キースは《第5回トーキョー・ミュージック・ジョイ》出演直前の89年1月に八ヶ岳高原音楽堂で、初のハープシコード作『Goldberg Variations』を録音。90年に再びハープシコードで『Das Wohltemperierte Klavier, Buch II』、91年にハープシコード独奏の『The French Suites』と、キム・カシュカシャン(vla)とのデュオ『3 Sonatas fur Viola da Gamba und Cembalo』、92年にミカラ・ペトリ(recorder,fl)との『6 Sonatas』と、連続的にバッハの作品に取り組んでおり、本作はその端緒となったスタジオ作に関連するライヴとして、興味が寄せられる。
キースは94年公表のインタヴューで、バッハに関して次のように語っている。
「正しい演奏はスタイルをめぐる論争とは無関係です。最初に考えるべきは、生み出す音楽があるのなら、自分の作品は他のジャンルで見つけ、他に多くの方法で創出するということ。そこまで過酷なことに、バッハで個人的に打ち込む必要性を感じないからです。それによって私はより受容的になり、バッハの考えに触れていると感じます。グスタフ・レオンハルト*や他の人がハープシコードやピアノを弾くのを好むことが時々あるかもしれませんが、バッハを聴きたいのなら自分で弾きます。多くの発見があるからです。私がハープシコードを使用した最初のレコーディングをする前、演奏に8年間を費やしました。そしてピアノでバッハを弾く人が、ハープシコードでバッハを弾いたことがあるようには聴こえないことを発見したのです。その結果、私はそれが第一歩になるべきだと考えています。ハープシコードの長所と限界が何であるのか―例えば強弱法の可能性とアタック―を見つければ、ピアノへ有意義に置き換えられるのです」(英「グラモフォン」誌より)。
(*グスタフ・レオンハルト=著名なチェンバロ=ハープシコード奏者)