本サイトで既報の新作である。イタリア・ヴェネツィアのオペラ・ハウスとして著名なフェニーチェ劇場での、2006年7月19日のライヴだ。アルバム名から想起するのは、1995年にヨーロッパのオペラ・ハウスの最高峰である伊ミラノのスカラ座で収録されたソロ・コンサート作『ラ・スカラ』。長尺の即興曲が2曲とアンコールの「虹の彼方に」からなるシングル・アルバムだった。
こちらの新作は2枚組で、当日のコンサートのほぼ全容を聴くことができる。まず注目したいのが録音年。2006年にキースが行ったコンサートを振り返っておきたい。まず3月は13日のロサンゼルス“ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール”と、19日のサンフランシスコ“ウォー・メモリアル・オペラ・ハウス”でソロ。7月はヨーロッパへ渡り、16日にスイス・ルツェルン“KKLルツェルン・コンサート・ホール”(2009年のトリオ・ライヴ『サムホエア』と同じ会場)と、19日(=本作)にヴェネツィア《Veneto Jazz Summer Festival》でソロ。7月下旬はゲイリー・ピーコック(b)+ジャック・ディジョネット(ds)とのトリオで、22日に仏アンティーブ《Jazz à Juan》、25日にスペイン《San Sebastian Jazz Festival》、28日に仏リヨン、31日に仏《Marciac Jazz Festival》と巡演した。秋になると再び渡欧し、10月31日と11月3日に仏“サル・プレイエル”でソロ。続いてトリオのツアーに移行して、6日はスペイン・セビーリャ、9日は《Festival de Jazz de Madrid》、12日はポルトガル・リスボン、15日はスペイン・バルセロナのステージに立った。
以上のデータですでにお気づきの向きもいるだろう。2006年はソロとトリオを合わせて14回のコンサートを行ったわけだが、アルバム化された音源はなかったのだ。近いところでは前年の2005年9月26日のニューヨーク・ソロ公演が、2枚組『カーネギー・ホール・コンサート』でリリース。即興による10曲に続いて、「ペイント・マイ・ハート・レッド」「マイ・ソング」を含む5曲が演奏され、アンコールを厚くするセット・リストが新機軸となった。同作の翌月には東京と大阪で計4回のソロ・コンサートを行っている。
さて今回の新作である。連番の即興曲+3つの既成曲からなる2枚組は、基本的に『カーネギー・ホール・コンサート』と同様だ。曲順も実際の演奏と同じ順番で、順序の入れ替えはない。キースがソロ・コンサートで演奏する即興曲は、いくつかのタイプに分類できる。「パート1」はアブストラクトなアップ・テンポでスタート。常にすべての指を動かしながら、2分後には声が漏れる。演奏に没頭している証しだ。6分過ぎからは下降音と上昇音を繰り返し、さらに同様の曲調で高音域へ移行する。10分25秒に場面転換してからは落ち着いた動きになり、メロディとシンクロした声も。同じテンポを続けて、静かに終わる17分44秒だ。「パート2」もアブストラクトなアップ・テンポでスタート。ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』収録曲「カウントダウン」を想起させる流れが生まれる場面には、すべての指を動かし続ける様子が“シーツ・オブ・サウンド”に合致。キースがそれを意識していたのか、興味を抱く。2分50秒で演奏が止まると、8秒間のブランクがあって拍手が起こる。曲が終わったのかどうか、観客の戸惑う様子が伝わってきてスリリングだ。
「パート3」はミディアム・テンポのダウン・トゥ・アースなゴスペル調。これもキ-スが持つ引き出しの一つだ。5分過ぎには速いパッセージも投入し、緩やかにスローへ移行する。スロー・テンポの「パート4」でがらりと明るい雰囲気になった。ステージがここまで進んだことによってキースが発見した美旋律。そのテーマを繰り返して、5分50秒にはさらにドラマティックに展開し、美しく落着する。この素敵なパフォーマンスに対して、感動を与えられた観客は熱い拍手で応える。
6分36秒の「パート5」はリズミカルなイントロから、バップ・テイストで進行。このあたりは「グルーヴィン・ハイ」「ハルネイションズ」「バウンシング・ウィズ・バド」等をレパートリーとしてきたトリオのキャリアが、ソロ・コンサートに反映したと見ることもできるだろう。ピタリとエンディングに至ると、大歓声が巻き起こった。ここまでが【CD1】。
【CD 2】の冒頭を飾る「パート6」はピアノと声のユニゾンが断続的に飛び出す、優しい13分32秒のスロー・ナンバー。静かにエンディングを迎える。次の2曲目は説明が必要だろう。オペラ『ミカド』からの「ザ・サン・フーズ・レイズ」(ギルバート&サリヴァン)。この既成曲を、即興曲の連続を定款とする本編に挿入したのは何故か。キース・ファンならば間違いなく抱く疑問に対する正解のヒントになるのが当日、実際に演奏されたセット・リスト。資料によれば、「パート6」と「ザ・サン~」の間にパフォーマンスの記録がある。1分34秒の演奏+2分29秒のキースのスピーチだ。その内容は不詳なのだが、前述の2005年10月の来日公演に足を運んだファンならば思い当たるに違いない。初日の東京芸術劇場公演で、客席から発せられたノイズのためにキースが演奏を中断し、観客に対して肉声でメッセージを伝える場面があった。「こうやって演奏するのは大変ハードな仕事だけれど、静かにしていることは難しいことではないでしょう?皆さん、どうか西洋化しないでください。日本には昔から、瞑想という伝統があります。アメリカには伝統がありません」。
76年の『サンベア・コンサート』を皮切りに、87年の『ダーク・インターヴァルズ』、トリオの『Tokyo ‘96』、2001年録音のトリオ作『オールウェイズ・レット・ミー・ゴー』と、日本でのライヴ作を発表してきたキースは、マナーの良さも相まって来日公演を楽しんできた。脱線ついでに言うと、演奏中のキースと来場者に迷惑をかけないために、体調を整えて当日に臨むのはもちろん、不慮の咳やくしゃみに備えてタオルを用意することは、長年のファンの常識。クラシック音楽のファンからキースに参入した層が、マナー違反者との指摘もあった。オペラ所縁の会場ということで、キースが咄嗟にこの曲を選んだのだとすれば、これは驚くより他にない。
アルバムに戻ると、異例の選曲理由を探れば、キースが自分の気持ちを立て直すために穏やかな曲調の既成曲が相応しいと判断したのではないだろうか。ところがこの曲は過去作には収録されておらず、私のキース・ライヴ・キャリアでも記憶がない。会場にいたどれだけの人々が曲名を認識したかは不明だが、静かなエンディングに至ったことで、キースの危機管理施策に納得したファンは多かったのではあるまいか。
祈りの楽想による5分30秒の「パート7」、リズミカルに発展するブルースで、キースが一呼吸置いたエンディングに観客が痺れた「パート8」と、本編終盤は以前とは異なる引き出しからキースが持ち駒をアレンジする形となった。
ファンにはお楽しみのアンコール1曲目は、『ザ・メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー』収録の「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ」。同作がキースの静養中に自宅録音した音源だったことを踏まえると、本作で新たな生命を吹き込んだのは、この曲の決定版を世に出したい思いがあったのではないかと想像する。優しくエンディングに至ると、観客から「ブラヴォー」。
「星影のステラ」はファンならトリオ作『Standards Live』(85年)収録ヴァージョンが思い浮かぶが、そのバラード・ヴァージョンとは異なるリズミカルなアレンジに驚かされる。さらに2分30秒からはビバップとストライド・ピアノを融合したアプローチに発展。会場にはキースのリスニング・キャリアが豊富な観客が多かったようで、演奏が終わるや熱狂の渦が巻き起こる。
アンコール3曲目は意外な出典の「ブロッサム」。ヨーロピアン・カルテットの74年デビュー作『ビロンギング』収録曲で、スロー・テンポのメランコリックな演奏が40年前のキース・ナンバーに新たな光を当てる形となった。演奏後の観客はさらにアップ・テンポの拍手で興奮と感動を表現する。
2006年10月31日には「マイ・ソング」を、同年11月3日には「カントリー」をソロ・コンサートのアンコールで演奏。2018年はカーネギー・ホール公演をキャンセルしてファンに不安がよぎったが、キースにはまだやるべき仕事があるはずだ。ヤン・ガルバレク(sax)、パレ・ダニエルソン(b)、ヨン・クリステンセン(ds)が現役で活動している状況で、実現の可能性がある“ヨーロピアン・カルテット再結成”。本作を聴き終えて、見果てぬ夢への想いを一層強くしたのだった。