「ブランフォード・マルサリスとの共演作のレコーディングを、ちょうど終えたところです。今マスタリング中で、たぶん秋に発表できると思います。ブランフォードと全面的に共演できたことを嬉しく思っていて、彼はまるでサックスで歌っているかのようでした。彼とミノ・シネルがワルシャワに来てくれて、ポーランドのミュージシャンと共演したのです」。
2018年3月にアンナ・マリア・ヨペック(vo)が同国の人気ユニットKrokeと共に来日した際のインタヴューで、「今後の予定は?」との質問に対して答えてくれた、思いがけないビッグ・ニュースであった。

『幻想』を意味する本作の成立背景をご紹介。ヨペック(1970~)は10代で初めてスティング(vo,b)のアルバムに参加したブランフォードの演奏を聴いてファンになり、いつか共演作を実現させたいと思っていた。このあたりはやはりファンだったパット・メセニー(g)にダメ元でアプローチし、2002年に共同名義作『ウポイエニェ』をリリースして、大きな飛躍に結び付けたキャリアを想起させる。本作のきっかけとなった作品は明らかではないのだが、プロデューサーでソングライターでもあるマルチン・クドリンスキのブックレット・コメントを踏まえると、想像がつく。スティングとブランフォードの初共演作は、ザ・ポリスのメンバーとして人気を集めていた85年に発表した初個人名義作『The Dream Of The Blue Turtles』。同作でブランフォードを強く印象づけられたというクドリンスキの当時を振り返れば、「If You Love Somebody Set Them Free」のテナーと、「Fortress Around Your Heart」のソプラノ・ソロに感銘を受けたのだろう。15歳になる85年のヨペックの、ブランフォードとのファースト・コンタクトが同作だったのか。ヨペックが座るベッドの上にソプラノが置かれたブックレット内の写真を見ると、その2年後の『Nothing Like The Sun』収録曲「Englishman in New York」の名演と誉高いソプラノ・ソロではないかと思うのだが、どうだろう。

ヨペックからオファーを受けたブランフォードが全面的な共演を決意した理由にも興味を抱く。80年代初頭に新伝承派のトレンド・リーダーとして、一躍シーンのトップに躍り出て以来、40年間近く第一線を走ってきた。その間、女性ヴォーカリストとの共演作といえば、ナンシー・ウィルソン、ジャニス・シーゲル、アンジェリーク・キジョー、クラウディア・アクーニャが挙げられるが、アルバムの全面参加となると多くの例があるわけではない。パット・メセニーとの全面共演作で優れた成果を挙げたヨペックを知っていたに違いないブランフォードは、2008年に世界仕様盤がリリースされたヨペックの『ID』(EmArcy)に2曲参加。同作には『ウポイエニェ』以来、関係が始まったミノ・シネル(per)が参加していて、たびたびアルバムに貢献してきた。ブランフォードは変名のヒップホップ・プロジェクトであるバックショット・ルフォンク名義の『Buckshot LeFonque』(94年)と『Music Evolution』(97年)でシネルを起用しており、シネルの存在が本作参加の決め手の一つになったとも考えられる。

シネルが加わったヨペック・グループはブランフォードを迎えて、2015年12月4日にワルシャワ国立オペラ劇場でコンサートを行った。
●https://www.youtube.com/watch?v=XoQVQy3ioVg
「To i hola」(live in Warsaw) – Anna Maria Jopek & Branford Marsalis
このコンサートを成功させたヨペックは、この音楽を記録しておくべきだと考えて、終演後の深夜でも録音が可能なスタジオを探して、直後にメンバーと共にレコーディング。さらにフル・アルバムとして完成させる上で必要な楽曲は、メンバーのスケジュール調整のために時間がかかったが、2年後に録音してリリースに漕ぎつけた。
本作はヨペックの自作およびクドリンスキとの共作曲を柱に、ポーランドの民族音楽も素材に採用。ヴォーカルとソプラノの絡みで始まり、両者のユニゾンでエンディングに至る①、弦楽四重奏(SQ)を皮切りに、ソプラノ・ソロへと落着する②と、トラディショナル・ナンバーをアルバムの冒頭に固めて、ヨペックが個性と核にしてきた音楽性を打ち出す。
『ID』でブランフォードがソプラノ・ソロをとった③は、オーケストラがSQに代わって、10年前のヨペックが予想していなかっただろう再演を実現した。随所で好演を聴かせるブランフォードは、とりわけヨペック&クドリンスキ作の④で印象的なプレイを残し、唯一のインスト曲⑧ではSQと共に室内楽的なサウンドを生む。ヨペックは全編で母国語歌唱を貫き、SQ&ソプラノで始まる⑩で、しっとりと締め括る。

本作のブックレットにはブランフォードによる以下のコメントが掲載されている。
「アンナ・マリア・ヨペックは特別な才能の持ち主です。スタジオで成し遂げたことをコンサートでも再現できる、稀有なシンガーなのです。一流のミュージシャンと共に、このような輝かしいプロジェクトへの参加をオファーされて、光栄に思っています」。
一見、ありがちな賛辞に思われるかもしれないが、2番目の文章に注目してほしい。順序は逆になったが、2015年12月4日のコンサートと、日付が変わった5日のスタジオ・レコーディングでの経験を踏まえた感想として、説得力が感じられるではないか。
初回発売分のボーナスCDは約21分の4曲を収めた、見逃せない内容。トマシュ・スタンコ(tp)が94年の同名サウンドトラックのために書いた①は、2018年7月29日に永眠した母国の偉大な作曲者へのトリビュート。トラディショナル曲③は前出の映像で視聴できるように、ヨペックの激しい歌唱のインパクトが強く、ソプラノ+パーカッション+ストリングスのユニゾンが持続しながら、エンディングに落着する構成だ。
ブックレットはポーランド語、英語、日本語の3ヵ国表記で、歌詞の対訳も掲載している。
●アルバムPV