エンリコ・ピエラヌンツィ(p)がマーク・ジョンソン(b)+ジョーイ・バロン(ds)とのトリオを結成したのは1984年のことだった。その後、現在まで共演関係が続くことになるこのトリオ(以下PJBトリオ)は、今年で節目の40周年。誕生の経緯に関しては、エンリコ・ファンなら先刻ご存じだろうが、そのあたりのエピソードをエンリコ自身が語った動画がある。
「Interview : Enrico Pieranunzi | en concert le 13.12.2019 à La Seine Musicale」は、2019年12月13日にパリの複合芸術施設、ラ・セーヌ・ミュジカル(2017年オープン)で開催されるPJBトリオのリユニオン・コンサートのため、その2ヵ月前に同館が公開した3分40秒だ。以下はエンリコのコメントの翻訳である。
「マーク・ジョンソンとジョーイ・バロンとのトリオは、私の人生の中で最も並外れた音楽の冒険。そして偶然の出会いから1984年に始まった冒険です。マークとジョーイは優れたピアニストであるケニー・ドリューと一緒にツアーをすることになっていたという話です。しかし、何らかの理由によりツアーはキャンセルされました。そこで私たちは出会って、私がケニー・ドリューの代役を務め、1回はローマ、もう1回はパレルモの2日間、トリオで共演しました。そして音楽は私たちの間の化学反応を爆発させ、本当に素晴らしかった。それまでに私が経験したことのないことが起こったのです。そしてこれらすべてのことから、私たちの最初のLP を制作することに決め、その後 CD となるアルバムを『ニュー・ランズ』と名付けることにしたのは偶然ではありませんでした」。
「(1986年のPJBトリオの契約で)イタリア北部でいくつかのコンサートを行いました。そしてこの時の最大のイヴェントとなったのがミラノでの2枚目の録音で、本当にとても幸せなセッションでした。CD名は『ディープ・ダウン』で、幸せなセッションというのはそのサウンドが前述の化学反応を表しているためです。そのCD はすぐに、トリオにとって最高の名刺代わりの作品になりました。つまり、魔法はまだ続いていたのです」。
「マーク、ジョーイと一緒にプレイすることは、私にとっていつもとてもやりがいのある経験です。彼らの感受性の豊かさ、私たちの間の相互作用は本当に素晴らしいものです。私たちは演奏する前に綿密な打ち合わせをしていませんが、多くのレコーディングを残してきました。レコーディングが最も集中した時期は 2001 年から 2004 年の間です。『プレイ・モリコーネ1』と『2』の 2 枚から始まり、日本でのツアー後に発売された『ライヴ・イン・ジャパン』、そしてバラードに非常に思い入れのある CD 2 枚で終了しました」。
「マーク・ジョンソンとジョーイ・バロンとのリユニオン・コンサートをとても嬉しく思います。私たちにとっても素晴らしいイヴェントですが、ジャズ・ファンや一般の音楽ファンにとっても素晴らしいイヴェントになると確信しています。 また、この再結成コンサートがパリのラ・セーヌ・ミュジカルで開催されることをとてもとても嬉しく思います。それは素晴らしい会場であり、芸術的な建築物です。ジャズも芸術であり、コンサートに来てくださるリスナーや観客の皆さんもきっとその魅力を感じていただけると思いますので、ぜひお越しください」。
以上のエンリコのコメントを補足すると、ジョンソン+バロンとトリオを組むきっかけは、リーダーのケニー・ドリューが急遽デンマークへ戻らなければならなくなった時、ジャズ・クラブ“ミュージック・イン”のオーナーの仲介でエンリコが2人と知り合い、同店にトリオで出演。エンリコにとってバロンは未知のドラマーだったが、ビル・エヴァンス・ラスト・トリオのジョンソンのことはもちろん知っていた。ライヴの演奏は上々で、観客からも好感触を得たことで、ローマとパレルモの公演が実現したわけである。エンリコはツアーのエージェントに提案して、アルベルト・アルベッティとの共同プロデュースで『ニュー・ランズ』を制作。当初母国イタリアのレーベルを探したが、いい反応を得られず、エージェントと繋がりがあったオランダTimelessに決まった。75年設立のTimelessは同年代以降に加速した欧州レーベルにあって、充実したカタログを築いており、エンリコにとって初めての他国レ-ベルのディールは、ヨーロッパ各国に自身の存在を知らしめるきっかけとなったのも収穫だった。
PJBトリオの最後の作品は2004年12月録音/2009年リリースの『ドリーム・ダンス』。
それから15年後の今年、新作を発表してくれたことに、長年のエンリコ・ファンとして感謝に耐えない気持ちでいっぱいだ。2013年の来日時のインタヴューで、「PJBトリオは解散したわけではなくて、3人のスケジュールが合えばいっしょに演奏する気持ちがある」と断言してくれた。その言葉を実証する形になった本作を、録音から5年を経たタイミングでのリリースとした原盤制作のCAM Jazzの長期計画に共感する。
本公演のセット・リストはエンリコとCAM Jazzのプロデューサー、エルマンノ・バッソによって決められ、そこからの全8曲を本作に収録。スタンダード・ナンバー1曲を除く全曲がエンリコ・オリジナルだ。サウンド・エンジニアは名匠ステファノ・アメリオ。①「ジュ・ヌ・セ・クワ 」はPJBトリオの録音はなく、ハイン・ファン・ダ・ガイン(b)+アンドレ・チェカレッリ(ds)との『Seaward』(94年、Soul Note)や、ソロの『Live In Switzerland』(2000年、yvp music)に収録。エンリコらしい甘美な旋律のテーマから、早くもPJBトリオの世界に引き込まれてしまう。先発ソロのエンリコ~二番手のジョンソンとスムーズな流れを作る。注目してほしいのはベースのソロが終わる直前にピアノが入ってくる場面。「ベース・ソロが終わりました。では次にピアノ」ではなく、シームレスにベースからソロを受け継ぐのがエンリコ流であり、リスナーに興奮を呼び起こすのだ。続くピアノとドラムの小節交換でも、ピアノがドラム・パートに“はみ出し”たり、バロンが定型を逸脱したプレイで応じたりと、自由な精神が横溢。叙情的なエンド・テーマで落着するのも堪らない。
②「エヴリシング・アイ・ラヴ」は本作中唯一のカヴァー。PJBトリオの『Deep Down』(86年)でエンリコが初録音。同作は「いつか王子様が」「T.T.T.」、エンリコの自作曲「エヴァンス・リメンバード」を含むビル・エヴァンス・トリビュートで、エヴァンスの研究本『Ritratto d’artista con pianoforte / The Pianist As An Artist』(2001年出版)を上梓したほどのエンリコにとって、80年に永眠したエヴァンスのラスト・トリオに在籍したジョンソンと共にこの曲を演奏するのは特別なことだったに違いない。この曲だとはわからない短いピアノ・イントロからテーマが出現するが、3人がそれぞれ定石に囚われないセンスを発揮するので、聴き手にこの後の展開を予想させず、それゆえに期待が高まる。と思ったら、先発ソロはベースに。二番手のエンリコは速いパッセージを織り込んでアドリブを組み立てて、楽曲から快感を引き出す。ソロ・オーダーに関して、定番のピアノ~ベースではなく、その逆パターンを選択するのはエンリコが好む手法であり、それもまたファンの共感を生んでいる。ちなみに『Deep Down』ではピアノ~ベースのソロ・オーダーだった。続くドラムとピアノの小節交換への進行は、バロンとエンリコの阿吽の呼吸の成せる技。3人の息が合ったエンド・テーマも美しい。
③「B.Y.O.H. (ブリング・ユア・オウン・ハート)」はイェスパー・サムセン(b)+アンドレ・チェカレッリとの2015年ライヴ『Tales From The Unexpected』(Intuition)に収録。このメランコリックなバラードを、ベース・ソロでワンクッション置き、ピアノが引き継いだ構成にしたあたり、楽曲の世界観をピアノがさらに深くリスナーに伝える点で効果的だ。その後ドラムにスイッチせず、ピアノを中心にトリオがゴールに向かって進む選択も正解と言える。
④「ドント・フォーゲット・ザ・ポエット」は『Deep Down』で初録音し、ソロやトリオのレパートリーにアレンジを加えた99年の『Don’t Forget The Poet』(Challenge)で再演。冒頭のピアノ&ベースの動きと、ベースが先発のソロ・オーダーは『Deep Down』ヴァージョンを踏まえており、初演から33年後のこのステージで感動が再現されている。二番手のエンリコは、まさに“過激なリリシズム”を展開し、本領を発揮。落着地点を探し求めながら進むアウトロから辿り着いた結論に納得する。
⑤「ハインドサイト」は88年の『Space Jazz Trio Vol.2』(yvp)で初録音。ピアノの展開部ではエンリコ節を連発して、リスナーの興奮を高める。エンリコはスタンダード・ナンバーの一節を引用しながらソロを組み立てるタイプのピアニストではなく、自身のボキャブラリーで勝負するところに、私は惹かれている。後半にフィーチャーされるバロンのプレイで想起したのが、去る4月に開催された来日公演。「ラヴィッシュ・ジョイ」と題されたイヴェントは、20年以上にわたって活動を続けるロビン・シュルコフスキーとのパーカッション・デュオにゲストが加わった内容で、バケツやカラーコーン等の様々な物を楽器として使用し、音楽に仕立てる、実験/前衛的にしてユーモア・センスも溶け込んだサウンドがユニークだった。一ドラマーに止まらず、打楽器奏者の奥深さを体現するバロンのスキルは、PJBトリオでも見事に生かされている。
⑥「モルト・アンコーラ (ルカ・フローレスのために)」はトーマス・フォネスベック(b)とのデュオ・ライヴ作『Blue Waltz』(2017年、Stunt)に収録。ルカ・フローレス(1956~95)はイタリア人ピアニストで、エンリコ(1949~)とは師弟関係にあった。ピアノの美旋律とベースのピチカートを組み合わせたテーマでスタートし、ピアノ・パートに進むとギア・チェンジ。リズム・フィールが加わって、ジョンソン、バロンと共に奏でる心地良いサウンド・ドライブが始まる。ジョンソンのベース・ソロは英語で“much more”を意味する曲名を踏まえたかのようで、そのプレイに魅了されてしまう。
⑦「キャッスル・オブ・ソリチュード」はPJBトリオの2004年録音作『Dream Dance』(CAM Jazz)に収録された邦題「孤独の城」。そのスタジオ・ヴァージョンはエンリコらしいメランコリックな旋律をきっかけにベースが楽想を引き継ぎ、両者の魅力を際立たせる技ありのトラックだった。ここではややテンポを速くすると同時に、バロンにスポットを当てる新アレンジを披露。進化するPJBトリオの好例であるのはもちろん、エンリコが“過激な叙情性”に落とし込むエンディングの見事さは、筆舌に尽くしがたい。
⑧「ザ・サプライズ・アンサー」はPJBトリオの97年録音作『The Chant of Time』(Alfa Jazz)の最終曲として初録音。同作のセルフ・ライナーノーツで、エンリコは次のように記している。「ブルースは私のジャズの背景の基本として非常に重要な意味を持っています。“サプライズ・アンサー”(構成はダブル・ブルース形式)は、心地良くブルージーかつ驚くほど完璧に、このトリオ・アルバムの“ハッピー・エンド”を飾ってくれると思います」。ブラシ使用のソロで始まる本作の演奏は、初演のスタジオ・ヴァージョンとはかなり異なっており、⑦と同じく、PJBトリオの進化する姿を印象付ける。ピアノ・パートのエンリコはノリノリ状態で、バロンのハイハットとのシンクロによって生まれる“音楽を聴く快感”は、やはり彼らならではだ。
終演後にエンリコがフランス語で観客に謝意を述べて閉幕。エンリコは87年末か88年初頭に初めてパリで公演を行い、2001年のハイン・ファン・ダ・ガイン+アンドレ・チェカレッリとのトリオによるクラブ“ル・デュック・デ・ロンバール”での公演は、『Live In Paris』(Challenge)でアルバム化された。本作のステージでは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(エンニオ・モリコーネ)等も演奏されているので、『Live In Paris』と同じ2枚組にしてくればよかったのに、と思うのはファン共通の気持ちだろう。今後の『Vol.2』のリリースに期待を寄せつつ、まずは素晴らしい成果を記録した本作を、一人でも多くの音楽ファンの耳に届くことを願って止まない。