“お城のエヴァンス”の呼称で日本のファンに親しまれてきたビル・エヴァンス『アット・ザ・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』(1968年6月15日録音)は、ジャック・ディジョネット(ds)が参加したエヴァンス・トリオ唯一の公式作として、長年認知されていた。ディジョネットはレギュラー・ベーシストだったエディ・ゴメスの推薦で68年春にエヴァンス・トリオに加入。同年11月にエヴァンスの元ボスであるマイルス・デイヴィス(tp)に引き抜かれたため、在籍期間は約半年間にとどまった。エヴァンスの伝記本『How My Heart Sings』(ピーター・ペッティンガー著)には、「(エヴァンスは引き抜きを)残念ながら認めざるを得なかった」と記されている。つまりマイルスのリクルートがなければディジョネットはさらに長くエヴァンス・トリオで活動した可能性があったわけで、これぞ歴史の綾と言うべきだろう。
『モントルー』から48年後の昨年、エヴァンスのディスコグラフィーを書き換える驚きの作品が世に出た。『サム・アザー・タイム:ザ・ロスト・セッション』はトリオがスイスの《モントルー・ジャズ祭》から5日後の6月20日にドイツ・フィリンゲンのMPSスタジオで吹き込んだ音源。エヴァンスとMPSの実績は74年の『シンバイオシス』が唯一のフル・アルバムで、他は1曲だけ収録された70年のオムニバス・サンプラー『MPS Variation ‘73』がマニアックなファンに知られているのみ。どちらも70年代の録音であり、その意味で『サム~』は68年の時点ですでにエヴァンスがMPSと関係を持っていた事実を示して、意外に思ったのだった。
今年4月22日、世界各地で開催された「レコード・ストア・デイ」では、このイヴェントに合わせた恒例の復刻LPレコードが多数販売され、そのうちの1枚がエヴァンスの『Another Time – The Hilversum Concert』だった。限定盤のためすでに完売となった同作が、今回待望のCDでの発売となった。スイス・モントルーでのライヴ~ドイツ・フィリンゲンでのスタジオ録音と移動したトリオは、その2日後の68年6月22日にオランダ西部ヒルフェルスムでライヴを行った。これはNRU(オランダ・ラジオ・ユニオン)の番組のために収録された音源。エヴァンスは65年に当時のレギュラー・トリオを率いて初めてオランダ公演を行っており、68年は2度目の訪問だった。
全9曲のうち、7日前の『モントルー』と重複するのは⑤⑦のわずか2曲。逆に67年8月=10ヵ月前のライヴ作『カリフォルニア・ヒア・アイ・カム』とは5曲が同じであり、結成からまだほどないトリオが、相当のレパートリーを持っていたことがわかる。注目したいのは⑨で、エヴァンスが56年の初リーダー作『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』に初収録した自作曲。その後ライヴのレパートリーになり、公開された音源としては60年のクラブ・ライヴでセットのクロージング・テーマとして、短く演奏された例が確認できる。本作でもセットの最後に出てくるのは同様だが、マイルス・デイヴィスの「テーマ」、セロニアス・モンクの「リズマニング」、ソニー・ロリンズの「オレオ」の3曲を引用した定番の形にしていて、近いところではNY“ヴィレッジ・ヴァンガード”での未発表ボックス『The Secret Sessions』収録の、67年5月28日の演奏で同様の例が聴ける。つまり結成間もないながら、本トリオが早くも緊密な関係を築き、結束力を発揮していたことが明らかなのだ。『モントルー』に勝るとも劣らない、歴史的な発掘作である。