ピアニストのジェリ・アレンが6月27日に他界した。急逝を知ったのは28日の深夜。原稿執筆のための調べものの中でAll Musicのサイトにアクセスしたところ、トップ・ページに掲載されていて、寝耳に水の驚きだったというわけである。まだ60歳で、死因はがん。最近はライヴ活動をしていたエスペランサ・スポルディング(b)+テリ・リン・キャリントン(ds)との女性トリオ(アルバム未発売)や、デヴィッド・マレイ(ts)+キャリントンとの『Perfection』を発表して活発な活動ぶりが伝わっていただけに、まさかの第一報だった。
アレン作品との初対面は1984年頃。渋谷公園通りを上っていったパルコの向かい側にあったディスクユニオンで、いつものように中古LPのコーナーをチェックしていた時に、1枚を引いて手が止まった。それがアレンの初リーダー作『The Printmakers』(Minor Music)で、彼女の横顔のイラストをあしらったジャケットに、作品の品質保証を直感して購入。ジャケ買いが見事に当たった好例となった。今でも不思議なのだが、当時のユニオンは新譜が中古コーナーに入っていて、それを釣り上げるのも楽しみだった。そんな形で出会ったアレンは、同作を端緒に私の「新作購入アーティスト」に登録。セロニアス・モンク曲を含むピアノ独奏作『Homegrown』、スティーヴ・コールマン、デヴィッド・マクマレイらM-Base派の盟友を得て電気サウンドを導入した『Open On All Sides In The Middle』と、80年代中盤の3枚は、才気煥発な女性ピアニストの登場を強烈に印象づけるものだった。
ABC順ではなく生年順の掲載が今も画期的な90年発刊の「ジャズ批評:ジャズ・ピアノ Vol.2」には、アレンを紹介する拙稿が掲載され、ファン&サポーターの思いが実ったのも、良き思い出だ。
90年代に骨董通り時代の“ブルーノート東京”にアレンが出演した時は、彼女の幼子をマネージャーと思われる最初のご主人が店内であやしていた姿が、今も印象に残っている。仕事と子育てを両立するミュージシャンの大変さに触れた場面だった。本人と握手した時に、ピアノ・サウンドとは対照的と言うべき手の小ささを知って、意外に思った。2004年11月、新しい私的パートナーとなったウォーレス・ルーニー(tp)のグループで同店に出演。滞在中、その3ヵ月前に国内盤がリリースされたアレンの『ザ・ライフ・オブ・ア・ソング』(Telarc)でライナーノーツを書いた所縁もあって、ジャズ誌のインタビュー仕事を引き受けた。ファン歴20年の私が、アレンから1時間たっぷりと話を聞けたのは、貴重な機会となった。
初期のMinor Music3部作で強烈なインパクトを与えたアレンは、その後コールマンのM-Base人脈から離れたこともあって、革新性を追求しないスタンスに変わった印象も抱いていた。しかしモザイク・プロジェクトにより女性リーダーの象徴的存在であるキャリントンや、70年代のロフト・ジャズを経て80年代にメジャー・ブレイクしたマレイのように、志を持ち続けるミュージシャンとのコラボレーションを続けていることが、アレンの姿勢を示唆。2004年以後は来日の機会がなかったと思うが、私はノルウェーの《Nattjazz》でタップ・ダンサー入りのプロジェクトを観る機会があり、『Open~』で表明した音楽コンセプトが継続していることに感銘を受けた。
メリー・ルー・ウィリアムスに由来するジャズの遺産と、M-Baseで実践したジャズの革新。まだまだ活躍するはずだったアレンの足跡を継承することが、ジャズの発展に繋がることは言うまでもないだろう。