8月16日に歌手のアレサ・フランクリンが逝去した。享年76。13日に危篤と報じられてから、3日後の悲報だった。14日にステーヴィー・ワンダーがホスピス・ケアを受けていたデトロイトの自宅でアレサを見舞ったニュースも、今となっては悲しく響く。私はソウル音楽ファンとしてアレサの作品に親しんでおり、その中でジャズ関連のキャリアについて改めて触れておきたいと思う。
アレサが斯界のトップ・スターの地位を築いて、クイーン・オブ・ソウルの称号を得たのは、Columbiaから移籍した67年に始まるAtlantic時代。同年のシングル第1弾「I Never Loved A Man (The Way I Love You)(「貴方だけを愛して」)が全米R&Bチャートの首位を獲得すると、続く同年のオーティス・レディング曲のカヴァーである第2弾「Respect」がR&Bのみならずホット・シングル・チャートでもNo.1に輝く。79年までのAtlantic時代には14曲のトップ10ヒットを放っており、20~30代にあたるアレサのキャリアにおける最重要期と言えよう。
一般的にはAtlantic時代ほどの評価を得ていないColumbia時代だが、そこにこそジャズ・ファンにとって見逃せない作品が残されている。60~61年録音のジョン・ハモンド監修による第1弾『Aretha』はレイ・ブライアント(p)の参加が要注目で、ソウルフルな「イット・エイント・ネセサリリー・ソー」や、クェンティン・ジャクソン(tb)が助演したブルージーな「バイ・マイセルフ」等が楽しめる。同時期のブライアントの作品には『リトル・スージー』『コン・アルマ』があり、Columbiaのレーベル・メイトだったことがアレサには幸いした。
もう1枚、再評価を促したいのが64年2月録音の『Unforgettable – A Tribute to Dinah Washington』。父親が有名な牧師だったこともあって、少女時代にダイナが自宅に来て歌ったという経験があるアレサは、歌手として最も大きな影響を受けた。63年12月の他界から、わずか2ヵ月後にトリビュート作を制作した事実に、アレサの深く強い敬愛の気持ちが感じられる。テディ・チャールズ(vib)を得て熱く歌い上げる「アンフォゲッタブル」、ポール・グリフィン(org)の助演によるゴスペル調の「コールド・コールド・ハート」、スローで進み絶唱でクライマックスに至る「縁は異なもの」、アーニー・ロイヤル(tp)が彩りを添える「ドリンキング・アゲイン」等、聴きどころが多数。Tom Lord編の『The Jazz Discography Vol.7』には意外にもアレサの項目があり、収録されたデータは60~65年のColumbia時代のみである。
14年間在籍したAtlantic時代に区切りをつけたアレサは、80年に二つの大きな仕事を残している。一つはAristaへの移籍作『Aretha』。70年代にもリチャード・ティー、コーネル・デュプリーらスタッフの面々などフュージョン系ミュージシャンを迎えたアルバム作りをしていたアレサを、アリフ・マーディンのプロデュースにより、ランディ・ブレッカー(tp)、マイケル・ブレッカー(ts)、デヴィッド・フォスター(key)、スティーヴ・ルカサー(g)、ルイス・ジョンソン(b)、ジェフ・ポーカロ(ds)といった腕利きたちが助演。コンテンポラリーなアッパー・サウンドのドゥービー・ブラザーズ「ホワット・ア・フール・ビリーヴズ」には、デヴィッド・サンボーン(as)のソロがフィーチャーされている。
もう一つは映画『ブルース・ブラザーズ』への出演。マット・マーフィ(g)の妻でソウルフード・カフェの女主人役を演じた中で、自身の68年のR&BチャートNo.1曲「シンク」を歌うシーンは、アレサの名唱としてファンの人気が高い。ヴォーカリストとしてはもちろん、エンターテイナーとしての素晴らしい魅力を体感できる。
翌81年Arista第2弾『Love All The Hurt Away』を発表。シングル・カットされたタイトル曲「想い出の旅路」は、前作から連続参加となるフォスター、ジョンソン、ポーカロに加え、バジー・フェイトン(g)、ポリーニョ・ダ・コスタ(per)、エディ・ダニエルズ(as)が助演。そして何と言ってもジョージ・ベンソン(vo)がアレサと二重唱を演じているのが特筆される。掛け合いやハーモニー、短いスキャットも入っていて、曲調がクワイエット・ストームというのも興味深い。ベンソンは76年の「ディス・マスカレード」、78年の「オン・ブロードウェイ」、80年の「ギヴ・ミー・ザ・ナイト」と、全米トップ10ヒットを放っており、この曲を「全米トップ40」(ビルボード・チャート)で初めて聴いた時は(最高位は36位)、同番組でそれ以前のベンソンのシングルに親しんでいただけに、ジャズ・ファンとしてはベンソンとの共演を歓迎したのだった。
アレサとベンソンが自身のアルバムでカヴァーした共通曲がある。ジェームス・ムーディー作曲の「ムーディーズ・ムード・フォー・ラヴ」がそれで、ベンソンは80年の『ギヴ・ミー・ザ・ナイト』にパティ・オースティン(vo)とのデュオで収録したバラードが、ジャズ・ファンにはお馴染み。アレサはそれに先立つ73年作『Hey Now Hey (The Other Side Of The Sky』に収めたのだが、これが大胆なアップ・テンポで驚愕必至。ぜひ探して聴いてみてほしい。
こちらはアレサが2011年にワシントンD.C.のケネディセンターで開催された「Thelonious Monk Institute of Jazz International Piano Competition & Gala」で歌った時の模様。テンポはスローだが、最後にアレサらしい展開になり、テレンス・ブランチャード(tp)、ハービー・ハンコック(b)、ロン・カーター(b)、テリ・リン・キャリントン(ds)の豪華メンバー共々、ジャズ・ファンも必見だ。同コンペを主催するThelonious Monk Institute of Jazzが、8月16日に公開した動画である。
アメリカ合衆国の音楽文化を体現した偉大な歌手の、豊饒な作品たちをこれからも味わい、新しい発見をすることでアレサを偲び続けたいと思う。