トランペット奏者のロイ・ハーグローヴが、11月2日にニューヨークで永眠した。長年、腎臓病と闘いながら、音楽活動を続けていた末の訃報となった。3月にはクインテットで来日していただけに、私にとっては寝耳に水、だったのである。
ハーグローヴと言えば、かつてはやんちゃ坊主のような、とにかく元気でエネルギッシュなイメージが強い。15年ほど前にブルーノート東京でファースト・ステージを観た時のこと。終演後のミュージシャンは楽屋で食事をしたり、会場に戻って知り合いと談笑したり、サイン会が始まったりと、たいていは店内で過ごすもの。ところがその日、私が会計を済ませて建物の外へ出ると、そこにハーグローヴが佇んでいたのである。セカンド・ステージが始まる前の時間を利用して、周辺を散策するつもりだったのだろうか。同店には30年間通っているが、後にも先にもこのような経験をしたのは、ハーグローヴが唯一だ。
私はハーグローヴが93年に発表した第4作『Of Kindred Souls』(邦題『ソウルフル』Novus)の日本語ライナーノーツを当時執筆している。以下に一部を再録して、ハーグローヴへの追悼としたいと思う。
(マイルス・デイヴィスが91年に他界し、ウィントン・マルサリスはジャズの啓蒙活動に注力している、というトランペット界に関する拙稿の流れに続いての文章)
そういった現状を踏まえると、ハーグローヴは今世紀末へ向かっての重要なトランペッターの一人に位置づけられるだろう。ポスト・マイルスというテーマは、非常に広範なニュアンスを含むため焦点を絞りにくいが、米国系の新世代に限定するならば、ハーグローヴは最も期待を寄せられるトランペッターだと言える。このところハーグローヴは明らかに自己変革を敢行していると思えるのだ。“脱ウィントン”的な姿勢すら認められる。それは本作における彼のプレイを聴いても感じられるが、決定的な証拠として特筆したいのが、米ダウンビート誌92年6月号に掲載された「ヤング・ライオンズ」と題された特集記事だ。この中でハーグローヴはなかなか興味深い発言をしている。
「ぼくはレスター・ボウイに感謝しているんだ。イタリアの《ウンブリア・ジャズ・フェスティヴァル》に出演した時、彼が聴いていてくれて、終演後にこう言ってくれたんだ。『んー、ロイ、いい演奏じゃないか。でもな、もっと違う音も使わないとな。合わないような音だよ。いつもルールから外れちゃいけないなんてことはないんだ』。彼のアドヴァイスを聞いたおかげで、ぼく自身、音楽の中にある可能性の全く新しい世界が開けたんだ」。
「最近オーネット・コールマンをよく聴いているし、ぼくのバンドのリズム・セクションもチェンジした。アパートでやったちょっとしたプロジェクトなんだけど、ヒップホッパーたちとセッションもしたんだ」。
レスター・ボウイ、オーネット・コールマンにヒップホップとは、アルバムから受けるハーグローヴのイメージとはかなり違うではないか。デビューからそろそろ5年を迎え、生来の負けん気の強さが、いつまでもウィントン・イミテイターの枠に収まり続けることをよしとしなかった…そう考えると、ハーグローヴの発言も現実味を帯びてくる。自己のバンドを率いるリーダーとしての逞しさすら漂わせる彼は、確実に一皮むけたと言っていいだろう。
自身がサイドマンとしてレコーディングに参加したコモン、エリカ・バドゥらヒップホップ~ネオ・ソウルのミュージシャンをゲストに迎えたRHファクター名義の初作『ハード・グルーヴ』(Verve)をリリースしたのは2003年。メインストリーム・ジャズを土台に、アフロ・キューバンやビッグ・バンドにも進出して確かな成果を残してきたハーグローヴの損失は、ジャズ界にとってあまりにも大きい。