インターネットで簡単に海外の情報を得られる現在でも、紙媒体の重要性と価値を私は認識している。1970年創刊で「DownBeat」に次ぐ老舗の米ジャズ誌である「JazzTimes」は、私が長年、定期購読を続けている情報源だ。2009年に同社が売却された時期には休刊の憂き目にあったが、その後復刊して現在に至っている。いま手元にある2004年6月号は154ページだが、最新の2019年3月号は半分以下の64ページ。判型が少し縮んだことと合わせて、減退感が否めなかった。ただし視点を変えれば、ページ減でも誌面充実を目指して他誌との差別化によって発刊を続けたことが、読者の支持を得ているのだと思う。
「JazzTimes」の名物企画と呼んでいい記事が、その年に逝去したミュージシャンの特集。訃報記事自体は他誌でも取り上げているが、同誌独自の企画力を感じさせるのは、故人と所縁の深いミュージシャンが追悼文を寄稿していることだ。表紙に「SPECIAL ISSUE: IN MEMORIAM」とクレジットされた2017年3月号では、「In Memory Of…」と題してボビー・ハッチャーソン(vib)をジョージ・ケイブルス(p)が、モーズ・アリソン(p,vo)をベン・シドラン(p,vo)が、ヴィクター・ベイリー(b)をクリスチャン・マクブライド(b)が、ルディ・ヴァン・ゲルダー(engineer)をマイケル・カスクーナ(producer)が追悼。まさに適材適所と言える人選の妙に、毎回唸らされている。

最新号の読みどころとなるのは、表紙に「THE DEPARTED: Tributes to Late Jazz Greats」と刷り込まれた18ページの特集。「2018年に逝去したジャズの偉人を関係者、弟子、敬愛者が偲ぶ」のリード文に続いて1/2ページの写真と共にフィーチャーされたのがセシル・テイラー(p)。晩年まで活動を続けた89歳は、オーネット・コールマンと並ぶフリー・ジャズの始祖であり、ジャズ界に及ぼした影響は計り知れない。そんなセシルを追悼したのはマイラ・メルフォード(p)で、学生時代からのファンが今ではフリー・イディオムも取り入れた女性ピアニストの代表格に地位を築いているとなれば、これまでにメディアで明かされていなかった情報が期待される。メルフォードはセシルに関連する自身のキャリアを時系列で記しながら、闘将をトリビュートしている。

特集はルネ・マリー(vo)のアレサ・フランクリン(vo)、モンティ・アレキサンダー(p)のランディ・ウェストン(p)、イーサン・アイヴァーソン(p)のロレイン・ゴードン(Village Vangurd owner)、オリヴァー・レイク(as)のハミエット・ブルーイエット(bs、World Saxophone Quartetの同僚)、パトリース・ラッシェン(p,key)のレオン“ンドゥグ”チャンスラー(ds)、スティーヴン・バーンスタイン(tp)のヘンリー・バトラー(p,vo)、トム・マローン(tb,tp)のビル・ワトラス(tb)、マイク・スターン(g)のソニー・フォーチュン(as)、ラムゼイ・ルイス(p)のナンシー・ウィルソン(vo)、ソミ(vo)のヒュー・マサケラ(flh)、アン・ハンプトン・キャラウェイ(vo)のウェスラ・ホイットフィールド(vo)、トム・エヴァード(EMI/Blue Note)のボブ・ドロー(vo,p)、シェリル・ベンティン(vo)のレベッカ・パリス(vo)、トム・スコット(ts)のマックス・ベネット(b)、ショーン・ジョーンズ(tp)のネイサン・デイヴィス(ss)、ジャン・リュック・ポンティ(vln)のディディエ・ロックウッド(vln)と、なるほどと意外が混在した執筆者たちは、同誌の編集者の立場を想像すれば、よくぞ取りまとめたものだと感心する。

この特集のマルチン・ヴァシレフスキ(p)によるトマシュ・スタンコ(tp)への追悼文から印象的な文章を紹介したい。ヴァシレフスキ(1975~)は93年からスワヴォミル・クルキェヴィチ(b)、ミハウ・ミシキェヴィチ(ds)とシンプル・アコースティック・トリオ名義で活動。全員がまだ10代だった94年にスタンコから呼ばれてライヴで初共演し、その後も共演を重ねる。そしてスタンコの2002年発表作『Soul Of Things』(ECM)に抜擢されて、スタンコ・カルテットのメンバーへとキャリア・アップ。さらにスタンコの2枚に参加する中、2005年には3人だけの『トリオ』が世に出て、ECMの人事における成功例を示している。
「フリー・ミュージックの演奏方法を彼から学びました。私たちにとってはそれまでに経験した中で最良の学校だったのです。技術的な質問には答えてくれましたが、音楽の具体的な方向性について多くを語ったり、指示することはありませんでした。彼の作曲するメロディはとてもシンプルで、それが私たちに新しいものを創造する力を与えてくれました。活力に溢れ、そのエネルギーを周囲にいるすべての人間へ広げる男。驚くべきスタミナの持ち主であり、初めて24日間の多忙なアメリカ・ツアーを行った時は、30歳以上若い私たちの方が疲れてしまったほどです。物事の大きさに関わらず、亡くなった今も教えを請いたい指導者。その初米国ツアーの時に彼が着ていたコートを、私にプレゼントしてくれました。彼は尊敬していたクリストフ・コメダ(p)から上着を贈られたことがあって、つまり同じことを私にしてくれたのです」(マルチン・ヴァシレフスキ)。