「日本でも流通しているCriss Cross Recordsのオーナーであるジェリー・ティーケンズが、最近英訳された私の著書にあなたが興味を持つだろうと考えています。拙著はニューヨークでも数多く録音し、日本のレコード・レーベルのためにも録音した、マックス・ボレマンの有名なジャズ・スタジオに関する内容で、今月には英訳版が刊行予定です。あなたの好奇心を十分に刺激するならば、喜んでその本をお送りしたいと思っています」。
去る1月にオランダからこのようなEメールが届いた。送り主のHerbert Noord(1943~)は60年代からボレマンと友人関係にあるオルガン奏者。面識のない海外のジャズ関係者からメールを受け取ることはよくあって、それは自分のCDを聴いてほしいので送りたい、とか、日本でライヴ演奏をしたいのでプロモーターとライヴ・ハウスを教えてほしい、といった相談案件が多い。ノールドの丁寧な長文メールからは、紳士的な態度が伝わってきて、好感を抱いた。
ボレマン(1944~)はアムステルダムで育ち、60~80年代はドラマーとして活躍。クラーク・テリー、キャノンボール・アダレイ、バド・パウエル、カーティス・フラーらの著名ミュージシャンと共演した。自宅裏でレコーディング・スタジオを趣味で始めると、評判を呼んだため、86年に新装した“スタジオ44”を設立。以降2009年にスタジオを閉じるまで、1500超のレコーディング・セッションを手掛け、うち300タイトルはCriss CrossのためのNY録音だった。
以前からレコーディングのエピソードを聞いていたノールドは、ボレマンに自分が聞き書きした本の執筆を提案したが、実現しないままだった。スタジオの閉鎖を受けて再び提案し、2014年から取材と執筆に取り組み、2015年にオランダ語版の『I’m The Beat』を出版。2017年には重版されて、好調なセールスを続けているという。
255ページの内容はミュージシャン名の目次が多くを占める全52章。前半はアート・ブレイキー、チェット・ベイカー、マッコイ・タイナー、トミー・フラナガン~ケニー・バレル、ジョージ・アダムス=ドン・プーレンと、蘭Timeless Records関係の項目が並んでおり、前述していなかった70年代発足の米国人ミュージシャン支援レーベルとも関わっていたことがわかる。レコーディングにまつわるエピソードについて、ボレマンは美談だけではなく残念な話も隠さずに披露している。
シダー・ウォルトン(p)の全4集『Eastern Rebellion』(75~83年)について、プロデュ-サーのヴィム・ヴィットが第4弾で起用したトランペット奏者について「間違いだった」とした上で、シダーの反応を紹介しながら「CD化はされていない」と結論づけている。現場に立ち会ったからこそ明かせる情報が、本書の価値に繋がっている。
Criss Crossは後に有名になる多くのミュージシャンの初期をとらえたことでも、評価を得ている。ブラッド・メルドー(p)は95年のメジャー・デビュー作『Intoroducing Brad Mehldau』(Warner Bros)以前に、Criss Crossへピーター・バーンスタイン(g)、マーク・ターナー(ts)等のリーダー作5タイトルに参加。92年の第1作の時点ではオスカー・ピーターソンやジュニア・マンスに影響を受けたスウィンガー・スタイルだったが、その後、進化を遂げてグラント・グリーン(g)を思わせるスタイルになったと、ボレマンは独自の見解を示す。そして94年の5枚目にあたるM.T.B.名義作『Consenting Adults』のエピソードを紹介。スタジオにパジャマとスリッパ姿で現れたメルドーは、レコーディング中に演奏を巡ってリオン・パーカー(ds)と口論になった。するとスタジオを抜けて近くの食料品店でリンゴを買い、戻ってくると上機嫌でレコーディングを再開したという。
本書には昨日の出来事のように語られる初耳のエピソードと、レコーディング時の写真が満載。巻末には本文に登場したアルバムのディスコグラフィーを収める。1冊にまとめられたことで価値が高まった、レコーディング・エンジニアの読まれるべき著作である。