モダン・ジャズの歴史を作ってきた生き証人である現役最年長のテナーサックス奏者ベニー・ゴルソン(1929~)。97年発表作『アイ・リメンバー・クリフォード』で初めてゴルソンと共演して以来、レコーディングとライヴで20年以上の交流を続けているヴォーカリスト山岡未樹。昨年12月に開催された山岡のクリスマス・コンサートに出演するために来日したゴルソンに、他に例を見ない2人の関係について話を聞いた。
女性ヴォーカリストとの共演作に関して言うと、1950年代はダイナ・ワシントン、アビー・リンカーン、アーネスティン・アンダーソン、60年代はサラ・ヴォーン、90年代はキャロル・スローンのアルバムに参加していますね。
BG:ええ、そうです。
キャリアの長さに比べると、人数が少ないように思うのですが?
BG:他の人からは声が掛らなかったからですよ(笑)。呼ばれれば、行く用意はあります。

ヴォーカリストと共演する際に、特別なポリシーはありますか?
BG:ヴォーカリストに寄り添って演奏しなければなりません。自分が出しゃばる必要はなく、ソロは少しでいい。バックグラウンドとなってサポートすることが大切です。主役はシンガーなのですから。
今までのお気に入りのヴォーカリストを教えてください。
BG:一人だけというならばサラ・ヴォーン。タイプの違うダイナ・ワシントンやポップス畑のコニー・フランシス、アニマルズのエリック・バードンも好きです。スタイルが異なる歌手の優劣をつけるのは難しいですね。
初共演となった山岡さんのアルバムは『アイ・リメンバー・クリフォード』でした。

BG:当時アメリカではMikiがサラ・ヴォーンやダイナ・ワシントンに続く偉大なシンガーであることを、誰も知りませんでした。
同作への参加を依頼された時に、決め手となったのはトミー・フラナガン(p)がメンバーだったからだそうですね。
BG:いいえ、トミー・フラナガンの存在が、私の参加理由ではありません。そうではなくてMikiのアルバムだったからです。彼女からインスピレーションを受けました。トミーはたまたまメンバーの一人だったということ。Mikiの存在が重要なのです。
フラナガンとはご自身のリーダー作『フリー』(62年、Argo)を始め、カーティス・フラー『ブルースエット』(59年、Savoy)、レム・ウィンチェスター『ウィンチェスター・スペシャル』(59年、New Jazz)で共演されています。
BG:どうもありがとう。そんな昔のことは誰も覚えていません。あなただけですよ(喜)。

フラナガンは長い間エラ・フィッツジェラルド(vo)の伴奏者も務めました。ヴォーカリストの助演ピアニストとして、フラナガンが優れた部分は何だと思いますか?
BG:素晴らしいハーモニック・コンセプト。演奏すべき音とすべきでない音の判断力。何を弾かないかを意識することも大切なのです。トミーは状況に合わせて最適な音を選べます。瞬間ごとに重要な音が弾けるピアニストですね。
山岡:私もそう思います。
同作でゴルソンが参加した楽曲は?
山岡:「クローズ・ユア・アイズ」「ウィスパー・ノット」「アイ・リメンバー・クリフォード」「アローン・トゥゲザー」の4曲です。
山岡さんと初めてレコーディングした直後の感想は?
BG:レコーディングに参加できたことと、彼女と知り合えたことを嬉しく思いました。初共演が“永遠”の始まりになったのです。良いサウンド作りに貢献できたと思っています。
2度目のコラボレート作『モダン・スタンダーズ・ミキ・シングス・イン・NY-2』(2000年発表)では、プロデュースとアレンジを手掛けました。ヴォーカリストのアルバムをプロデュースする上で、大切なこととは?
BG:最良のパフォーマンスを引き出すこと。演奏内容の良し悪しにかかわらず、CDを再生すれば同じ音を聴くことになる。だから良い演奏を生み出す必要があります。
3度目のコラボ作『ディア・フレンズ』(2007年発表)では4曲に参加。その中の「イエスタデイズ」はご自身の『グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン』(59年、New Jazz)の収録曲でもあります。

BG:『グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン』はインストゥルメンタルだから、Mikiが同じになるはずはありません。もちろん異なるアプローチで、Mikiのために良いトラックになることを心掛けて演奏しました。
山岡さんの声と歌唱の魅力は何だと思いますか?
BG:彼女のような声を持つヴォーカリストは他にいないから、それが魅力になっていると思います。唯一無二の声の持ち主がMiki。サラ・ヴォーンでもダイナ・ワシントンでもリナ・ホーンでもなく、Mikiは常にMikiなのです。
最新共演作『ワン・デイ、フォーエヴァー』(2015年発表)では『アイ・リメンバー・クリフォード』に収録された「アイ・リメンバー・クリフォード」と「ウィスパー・ノット」を再演しています。その理由は?

山岡:1枚目の時はこの曲の理解が不足しており、悔いが残っている旨をベニーさんに伝えましたら、もう一度やってみよう、ということになりました。
山岡さんのために提供した自作タイトル曲の初演は、日本制作のリーダー作『アイ・リメンバー・マイルス』(92年録音)で、セクステットの演奏でした。この曲は91年に逝去したマイルス・デイヴィスへの追悼として書かれたのですか?
BG:そういうわけではありません。曲名の意味はこうです。誰しも死ぬことは望まない。具合が悪くなれば病院へ行って、医師の診察を受けます。長生きをしたいからです。あと15年?いいや、もっと。75歳の人だって、もっと生きたいと思いますよ。85歳の人だってそう。誰もがいつまでも生きたいと考えるものです。曲名にはそのようなメッセージを込めました。
初演後はご自身の作詞を加えた2001年発表作『ワン・デイ、フォーエヴァー』(Arkadia)に、シャーリー・ホーン歌唱のヴァージョンで再演しています。
BG:この曲をMikiに贈ったのは、彼女がそれを聴いて気に入ったからです。歌手が好きだと強く思った曲を録音し、それを作品としてリリースすることは大切。Mikiの気持ちを尊重しました。Arkadia盤よりも前に私が歌詞を書き、ホーンが初演。Mikiが録音した2人目のヴォーカリストで、ヴォーカル・ヴァージョンは2例だけになります。
その意味で山岡さんは特別なヴォーカリストですね。
山岡:実はその時、私のためにもう1曲をいただいたのですが、悲しい曲調だったこともあって採用しなかったのです。

ゴルソンは山岡さんを「ダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーンと並ぶヴォーカリスト」と高く評価。20年以上も関係が続いていることは、音楽的にはもちろん、人間的にも強く通じ合う部分があるからだと思われます。日本人では他に例がないようなお二人の関係が続けられている理由とは?
山岡:私にも分からないのですが、多分毎回レコーディングのたびに音楽的な疑問や、私に合う歌い方のアドバイスを頂きながら進めていたので、いつの間にか教え子のようになっていったのかもしれません。特に役に立ったのは英語の発音で、ネイティヴではない私に、黒人の方たちのこなれたアメリカン・イングリッシュの発音を真似するのではなく、イギリス・テイストな部分をわずかに加えると品の良さが出て日本人の私には良いと思う、とかリズムのことなどたくさんの助言をいただきました。1人でアメリカに行って悪戦苦闘している姿を身近で見てくださっているうちに、関係性が強くなっていったのかもしれません。
今後、山岡さんとどのように関係を続けていきたいですか?
BG:今まで通り、アルバムを作ってライヴをやる。変わらないそういう関係です。
(2018年12月19日、銀座ヤマハホールにて取材)
●Benny Golson Home Page:http://www.bennygolson.com/
●山岡未樹Home Page:http://mikiyamaoka.maiougi.com/