12月19日に東京・銀座ヤマハホールで山岡未樹(vo)の「Christmas Concert with Benny Golson 2018」が開催された。山岡は1997年作『アイ・リメンバー・クリフォード』で共演して以来、ベニー・ゴルソンとの友好関係を続けており、98年、2016年に続いて、今回が3度目の招聘となる。メンバーでは山岡のレコーディングとライヴでパートナーシップを築いていた前田憲男(p)が11月25日に急逝する不幸に見舞われたが、予定になかったトランペット奏者を加えたクインテットで当夜を迎えた。そこにはゴルソンの出世キャリアとなった50年代のアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ(JM)に対する意識があったようだ。
2015年最新作『ワン・デイ、フォーエヴァー』の1曲目でもある「ウィスパー・ノット」で開幕。ゴルソンが書いた代表曲にヴォーカル・ヴァージョンならではのキー・チェンジを加えて、邦人歌手としては前例が少ないと思われるこの曲を、山岡が自分のものとしてみせる。ゴルソンの提案で同作に収録された「ニューヨークの秋」は、ゴルソンの温かいテナーの音色が染みた。


ここからは2曲連続で山岡が抜けたゴルソン作曲のインストゥルメンタルに。カーティス・フラー『ブルースエット』収録曲「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」では、先発ソロのトランペットの最終音を引き取って、ゴルソンが2番手のソロを始めた場面に、臨時編成ながらも最良のパフォーマンスを生み出そうとの姿勢が感じられた。松島啓之(tp)は別の仕事をキャンセルして本公演に参加したとのことで、そちらには申し訳ないが、2度とないかもしれないゴルソンとの共演がジャズ・ミュージシャンとしてどれほど価値があるかを考えれば、正しい判断だと言えよう。
続くアップ・テンポの「ステイブルメイツ」も2管ユニゾン・テーマでスタート。ゴルソンが初めてリーダー作で録音した『ベニー・ゴルソン・アンド・ザ・フィラデルフィアンズ』(58年)では、リー・モーガンがミュートで演奏したが、先発ソロで力強くトランペットを響かせた松島には、本家本元との共演を通じてモダン・ジャズの歴史を継承しているとの意識があったに違いない。続くゴルソンはイマジネーション豊かなソロを披露した。



ここまで4曲を演奏したところでトーク・タイムに。ファンから事前に受け付けた質問に対してゴルソンが答える形式では、やはり40~50年代の話を興味深く聞いた。2歳上のジョン・コルトレーンについてはゴルソンが16歳の時に、地元フィラデルフィアのジャム・セッションで共演。ノースカロライナ州出身のコルトレーンの当時のあだ名は“nice country boy”。無口な男だったという。ハイスクール時代のゴルソンがコルトレーンと共にJimmy Johnson and His Ambassadorsのメンバーだった時、土曜日のジャム・セッションに参加した初顔のトランペット奏者がクリフォード・ブラウンで、楽団の誰よりも上手かった。今までに共演した中で最も好きなミュージシャンは?の問いに対して、アート・ブレイキーと答えたのは、58~59年のJM時代を考えれば納得できた。「常にスウィングしていて、人間的にも素晴らしい。ただほら吹きだけど(笑)」。

演奏に戻って、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」はヴォーカルとベースのデュオで始まり、ゴルソンを除くバンドがリズミカルにプレイ。後半は河上修(b)がパワフルなピチカートで存在感を光らせた。「アイ・リメンバー・クリフォード」ではヴォーカルのテーマにテナーが優しくオブリガードをつけ、エンド・テーマでは情感が込められた歌唱が印象的。クインテットのインストによる「キラー・ジョー」を挟んで、最新作のタイトル・ナンバー「ワン・デイ、フォーエヴァー」は、ゴルソンから山岡に贈られた特別な楽曲ということもあって、しっとりとエンディングに至った。
通常のステージ構成ではここで一度ミュージシャンが退出して、再び登場するところだったのだろうが、そのままドラム・イントロからインストの「ブルース・マーチ」に。ゴルソンのJM時代の十八番は、賑やかな最終曲に相応しく、テナー・ソロを終えたゴルソンは客席を記念撮影。エンディングは定石とは異なり、2管が静かに落着する意外な形となった。



1929年1月25日生まれのゴルソンは、まもなく満90歳を迎える。終わってみれば全9曲のうち4曲がインストゥルメンタルで、これは本人の演奏によるゴルソン・ナンバーを日本のファンに聴いてほしいとの、山岡の想いがあったからだろう。米国の大御所テナー奏者と日本のヴェテラン女性歌手の、長きにわたる信頼関係が伝わってくるステージであった。
