キース・ジャレット、デヴィッド・サンボーン、スティーヴ・ガッドと同じ1945年生まれと知って、意外に思う向きも少なくないだろう。アリルド・アンデルセンは紛れもなく北欧のトップ・ベーシストであり、60年代末ヤン・ガルバレク(ts)・カルテットに加わって以来、ECMとは初期から現在にいたるまで半世紀近くにもわたって、レコーディング・アーティストとしての関係を続けている。
今回来日したトリオは2008年に『Live At Belleville』(2007年オスロ録音)でアルバム・デビューし、2014年の『Mira』を経て、今年『In-House Science』を発表。この間、2010年の《東京JAZZ 2010》に出演しているので、ご記憶の方もいるだろう。
本公演が実現した経緯はこうだ。2年前にトリオが《ローチャスター・ジャズ祭》に出演した時、2曲で客演した小曽根が新鮮な手応えを感じた。そして昨年11月にわざわざニューヨークからノルウェーへ飛んで、トリオと再共演。確信を得た小曽根はここでしか4人のスケジュールが合わないというタイミングを押さえて、東京と横浜での3日間を実現させたわけである。アンデルセンとトリオ・メンバーのトミー・スミス率いるスコティッシュ・ナショナル・ジャズ・オーケストラの共演作『Celebration』(2010年録音)の収録曲「クリスタル・サイレンス」に小曽根がアレンジを提供した関係もあった。小曽根はバークリー音楽大学時代の恩師であるゲイリー・バートン(vib)からカルテットに抜擢されて初期のプロ・キャリアに弾みをつけたことがよく知られており、86年の『神童』(ECM)では新加入のスミスと共演した事実が見逃せない。
ライヴのプログラムは前述した直近の2タイトルからの楽曲を中心に構成された。アンデルセンのカウントで始まった「サイエンス」はダークなムードの中、テナーが主体のアグレッシヴでハードボイルドな展開に。スミスが退いてピアノ・トリオ状態になると、すぐにムードが変化。これはピアノレス・トリオにピアノが加わったことと、小曽根の個性の両方が加わったからだ。ピアノ&ドラムのユニゾンで楽曲の流れに区切りをつけたり、全員がピタリと落着するエンディングは、言うまでもなく通常のアンデルセン・トリオのステージでは見られない風景。
「ミラ」のベース・イントロでまずループを作り、その上でピチカートを鳴らして幻想的な世界を描く。このような手法はブッゲ・ヴェッセルトフト(p,key)やホーコン・コルンスタ(ts)、アイヴィン・オールセット(g)にも認められ、楽器の違いがあってもノルウェー人が特に好むスタイルとの印象がある。テナーとピアノがソロ・リレーするスロー・ナンバーは、同国の古謡に通じる曲調を持ち、最後は再びイントロと同じベース・ソロで締め括った。
アップライトベースから電化サウンドを出すのもアンデルセンの個性の一つで、「ヴェニス」はそこにフリーキーなテナーが加わって、前曲とは対照的なトリオの一面を披露。すると小曽根もそこに参戦し、ピアノ+ベース+ドラムでインタープレイの様相を示した。
4曲目直前のMCで小曽根が、「以前トミーが尺八を手に入れて、説明書が日本語だったために理解できず、独学で身に着けた」と紹介して、スミスの尺八ソロが始まる。私の当店での経験を踏まえると、当夜の満員の客席の多くを占めたのは小曽根ファンだったはず。その中でアンデルセン・トリオの音楽を知っている人がどれだけいただろうか。ここまでの演奏にいつもの小曽根とは違うと戸惑った向きは、少なからずいたと思う。すべての観客が固唾を飲んで注目したスミスの演奏は、お見事の一言。尺八の神髄と日本人の精神を深く理解した様子が演奏から伝わってきて、スミスに対する事前情報がない観客を含め、ステージと客席の距離をぐっと縮める効果を生んだ。
私とスミスのエピソードを紹介したい。2011年のノルウェー《コングスベルク・ジャズ祭》での出来事。会場近くのレストランの前を通ったところ、知り合いの関係者がいたので飛び入りさせてもらうと、しばらくしてスミスがやって来た。そこで持っていた尺八を披露し、ノルウェー関係者の中にいた唯一の日本人が私だったことで、座が盛り上がったというわけである。
「こういう音楽をやったことがない」と言う小曽根は、意外にも北欧人とは今回が初共演。近年は海外公演を含むクラシック・プロジェクトで新たな成果を生んでいる中、ここに鉱脈があったことを発見したのは本人にとっても喜びであっただろうし、長年ノルウェー・ジャズ・シーンをウォッチしてきた私も嬉しく思う。
終わってみればアンコールまで、通例よりも長い1時間25分のステージとなった。終演後に楽屋を訪れて、全員と談笑。パオロ・ヴィナッチャ(ds)の言葉に驚きを禁じ得なかった。「事前に何も決めていなかったんだよ、本当に」。