この四半世紀にわたって毎年のように新作を発表するフレディ・コール(1931~)は、遅咲きのヴォーカリストだった。52年にレコード・デビューするも、大ヒットを放つことはなく、ピアノ弾き語りのスタイルで80年代までマイナー・レーベルへの録音を継続。76年には『The Cole Nobody Knows』(First Shot)などという自虐的なネーミングのアルバムを出したこともあった。ナット・キング・コール(1919~65)の実弟という、これ以上ない肩書を持ちながら、日本では無名。88年発刊の『新・世界ジャズ人名辞典』にフレディが不掲載である事実が、当時の知名度を物語っている。
そんな状況に好転の兆しが表れたのは90年代に進んでから。Sunnyside、Laserlightを経て、95年メジャーのFantasyと契約し、グローヴァー・ワシントンJr.(ts)、エリック・アレキサンダー(ts)、シダー・ウォルトン(p)らの著名人を迎えた『Love Makes The Changes』(98年)で、再認識を決定づけた。2000年代に入るとTelarcへ移籍してステージ・アップ。2005年以降はHighNoteを舞台として、コンスタントに新作を届けている。20年ほど前にインタヴューした時には、温厚な人柄が伝わってきて、個人的には世間で言われる兄ナットとの相似性は気にしなくなった。
この新作『マイ・ムード・イズ・ユー』は一見、スタンダード集として紹介されかねない選曲だ。しかし詳細に目を向けると、有名曲にシフトした内容ではなく、歌詞内容を含めてフレディのこだわった選曲嗜好を反映したことがわかる。ジャズ・スタンダード曲は33年の映画『虹の都』でビング・クロスビーが歌った「テンプテーション」と、14年のミュージカル『ザ・ガール・フロム・ユタ』の挿入歌で、フランク・シナトラやトニー・ベネットが録音した「ゼイ・ディドント・ビリーウ・ミー」の2曲のみ。
その一方でフレディがファンだというリナ・ホーンのレパートリーから3曲が選ばれているのが、興味をひく。リナ&ガボール・ザボ版を踏まえてギターとのデュエットで始まる「マイ・ムード・イズ・ユー」と、ジョニー・マンデルらの共作による「アイル・オールウェイズ・リーヴ・ザ・ドア・ア・リトル・オープン」のバラード2曲では、フレディの温かい歌声と、ブラッド・メルドーとのデュオ作で知られるジョエル・フラーム(ts)との好相性を表明。ビリー・ストレイホーンが書いた「ラヴ・ライク・ディス・キャント・ラスト」は一転してシャッフル・リズムに乗ったフラームが、意外にもホンカーの一面を聴かせて楽しい。
PJモートンの2017年曲を早くも取り上げてネオ・ソウルとの親和性を証明した「ファースト・ビギャン」や、ランディ・ニューマンの74年曲をジャズ・バラード化した「マリー」は、ポップスを自身のレパートリーに入れるフレディのセンスを発揮。ナットがストリングスと共にスローで歌った「マイ・ハート・テルズ・ミー」では、ミディアム・テンポにアレンジして、没後半世紀を過ぎた敬愛する兄へのオマージュを捧げる。
本作録音時に85歳だった大ヴェテランの現役感が味わえる新作だ。