1984年録音の『Horizons』(Concord)以来、共同名義を含めると約50タイトルのリーダー作を発表してきたピアニスト、フレッド・ハーシュ。2008年に2ヵ月の昏睡状態に陥ったことで健康面が心配された時期もあったが、復帰後も旺盛な制作活動を続けており、毎年新作を届けてくれるのが定例となっている。
2010年代に進むと、ソロ、デュオ、トリオの小編成作品へとシフトしていたハーシュが、ここに来て初めてのビッグ・バンド作を世に問う。これまでにリリースした中で、比較的人数が多いリーダー作としては、ヴォーカリスト2名を含む10人編成のFred Hersch Ensemble名義による『Leaves Of Grass』(2005年発表)が最大だった。ビッグ・バンドとの共演作は唯一、『Concerto Pour Harmonica』(93年録音、TCB)があるが、これはローザンヌ・ビッグ・バンドとローザンヌ室内楽団が、トゥーツ・シールマンス(hmca)とハーシュをソロイストに迎えた作品であり、ハーシュのリーダー作とは言い難い。
本作でハーシュとパートナーシップを結んだドイツ・ケルンを拠点とするWDRビッグ・バンドは、1946年発足の組織にルーツを持ち、数多くの著名ミュージシャンと共演してきたヨーロッパ屈指の楽団。近年ではPJでも紹介したマーシャル・ジルクス(tb)や、アブドゥーラ・イブラヒム(p)、ニューヨーク・ヴォイセズ、メトロ、アントニオ・サンチェス(ds)とのコラボ作をリリースしており、共演者のタイプを選ばない柔軟な音楽性を証明している。
編曲と指揮を担当したのは、上記のサンチェス盤で指揮を執ったヴィンス・メンドーサで、WDRと組んだリーダー自作曲集『Homecoming』(2017年)をリリースするなど、楽団との所縁が深い。ハーシュは本作に参画したメンドーサについて、次のように評している。
「ヴィンスはこれらの楽曲がそれぞれ独自の世界を持っているという事実を、とても尊重して調和させました。そして17人のミュージシャンが各曲を独自の方法で創造することができた事実は、本当に素晴らしいものでした」。
ハーシュの新旧オリジナル曲に、大編成によって新たな生命が吹き込まれる、が最大のアルバム・コンセプトである中、オープニングの「ビギン・アゲイン」はこれまでレコーディングされたことがない初出曲。その意味でも要注目の演奏は、まずピアノが提示したメランコリックなテーマを、ビッグ・バンドが拡張。先発を担うアルト奏者ヨハン・ホーレンの、実力を裏付けるソロは、同時にWDRの高品質をも印象付ける。続くハーシュは右手と左手で異なるメロディラインを並行させたり、無伴奏ソロや楽団との絡みによって楽曲の魅力を輝かせる。
「ソング・ウィザウト・ワーズ#2:バラード」は3枚組の『Songs Without Words』(2001年発表)収録曲で、そちらはソロ・ピアノだった。こちらは初演を尊重したムードをピアノが作ると、再びホーレンがフィーチャーされて、バラードの曲調に沿ったプレイで貢献。トリオ作『Alive At The Vanguard』(2012年発表)が初演だった「ハヴァナ」はラテン音楽を研究して、自身に吸収しているハーシュの音楽性の一端が聴ける。情熱の炎を燃やすようなピアノ演奏に触発されるかのように、ポール・ヘラーが熱いテナー・ソロを披露。ギル・エヴァンス楽団の「ゴーン・ゴーン・ゴーン」を想起させる曲調も興味深い。
「アウト・サムプレイス」はドリス・デューク財団からダンス・カンパニーのために委嘱され、99年にケネデイ・センターで世界初演された。副題に「ブルース・フォー・マシュー・シェパード」とあるように、同性愛者という理由で98年に殺害されたシェパード(ヘイトクライムを禁じたマシュー・シェパード法が2009年に米国で成立)への追悼曲。繊細かつダイナミックな演奏に、作曲者ハーシュの想いを形にしたメンドーサのスキルを感じる。
「パストラル」は『Alone At The Vanguard』(2011年発表)が初演で、ロベルト・シューマンのピアノ曲『子供の情景』へのオマージュ。マリア・シュナイダーを想起させるオーケストレーションで始まり、ピアノ独奏から楽団との合奏へと広がる構成だ。「レイン・ワルツ」は80年代半ばに作曲され、ハーシュ参加のトゥーツ・シールマンス(hmca)作『Only Trust Your Heart』(88年)で初演。主旋律を奏でるトランペットを含む楽団と、雨音のようなピアノによる柔らかなハーモニーが美しく響く。アルト・ソロのカロリーナ・ストラスメイヤーも好演。ちなみにシールマンスは2004年にWDRとステージで共演している。
2017年ベルギー録音のトリオ作『Live In Europe』が初収録だった「ザ・ビッグ・イージー」は、米国音楽の造詣が深いニューオリンズ在住の作家トム・ピアッツァへの捧げもの。同地所縁のオールド・ジャズに通じるピアノは、普段はあまりクローズアップされることのないハーシュの音楽性の一端を示していて興味をひく。「フォーワード・モーション」は91年作からの同名タイトル曲で、初演はトリオ+テナー+チェロという独特の編成だった。トランペットとトロンボーンが絡み合い、後半に進むとテナーのポール・ヘラーがソロを演奏。楽曲の冒頭でフィーチャーされたハンス・デッカーのドラムが、終始サウンドに生命力を注ぎ込む、ビッグ・バンドらしい仕上がりだ。
アルバムに音楽的祝福感を残すためにハーシュが選んだ最終曲「ジ・オーブ(フォー・スコット)」は、本稿冒頭で触れた臨死体験に基づいてハーシュが制作し、2013年に上演したシアター・ピース『My Coma Dreams』の収録曲(2014年にDVD作品で発表)。2017年発表のソロ作『Open Book』の1曲目にも収録された。ここでは3分43秒まで優美なピアノ独奏で綴られ、楽団が彩りを添える構成であり、その曲調が、長い眠りから目覚めた時に見たハーシュのドメスティック・パートナーで歌手のスコット・モーガンの顔にインスパイアされて生まれたことを重ね合わせれば、どれほどの幸福感と安心感に包まれただろうかと想像させ、余韻が残る。
ビッグ・バンドという未開だったジャンルで新たな金字塔を打ち立てた、フレッド・ハーシュの傑作である。