過去10年間のリーダー作を振り返ると、ソロとトリオにフォーカスしてきたフレッド・ハーシュ。そのような中で2019年にリリースしたWDRビッグ・バンド・ケルンとの共演作『Begin Again』は、ハーシュにとって初めての大編成作としてレコーディング・キャリアに新たな1ページを刻み、大きな話題を集めた。
『Begin Again』試聴:https://open.spotify.com/album/4X1rG1RxunEyv0s9OZmoTM
2020年11月リリースのソロ作『Songs From Home』以来となる新作『Breath By Breath』は、再びハーシュが新たな領域に挑んだアルバム・コンセプトが注目される。共同名義作を含めて約60タイトルのディスコグラフィーを誇るハーシュが、今回このタイミングで初めてトリオ+弦楽四重奏(SQ)作に取り組んだのは、意外な印象も抱く。すでに実現していても不思議ではないプロジェクトだからだ。本作に近い編成としては、トリオ+4管にSQが加わったフレッド・ハーシュ・アンサンブルと朗読者が出演したシアター・ピース『My Coma Dreams』(2014年にDVD発売)の例があるが、作品コンセプトはまったく異なる。
「弦楽四重奏は私の人生でずっと好きな音楽の一つです。シンシナティに住む若いミュージシャンとして、SQを聴きながら育ちました。私のピアノ指導者は有名なLaSalle Quartetのチェリストの夫人。小学生時代によくご夫妻のお宅にうかがって、静かにリハーサルの様子を聴きながら、ヴィオラ、ファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、チェロの動きを注視しました。そのようなことがあってから、8歳で作曲を学び始めたので、ほとんどすべての私の音楽は4つのメロディックなパートに焦点を当てています。だからSQは私にとって自然な音楽的楽器編成なのです」(本作のハーシュ執筆ライナーノーツより)。
●About Breath By Breath Album:
もう一つの注目点は全9曲のうち8曲を占め、作品の本編を構成するのが組曲であることだ。過去作では11パートの組曲「Song Of Myself」を収録する『Leaves Of Grass』(2005年)の例があるが、そちらは4管を含むアンサンブルに、ウォルト・ホイットマンのテキストを使用したカート・エリング(vo)参加作で、やはり本作とはコンセプトが異なる。
「The Sati Suite」と題した組曲名の“Sati”とはパーリ語(南伝上座部仏教の経典で主に使用される言語)で「心を配ること」「意識すること」を意味する。その由来と言えるのが、ハーシュが実践してきた瞑想プログラムで、特にコロナ禍時代になってオンラインの自宅レッスンに、自身の安らぎの場所を感じていたという。「『サティ組曲』は私の長年の自己瞑想実践の側面に触発され、音楽的に反映した作品です」。
ベースのドリュー・グレスは『Dancing In The Dark』(92年、Chesky)を初参加のハーシュ作として以来、現在までトリオのレギュラー・メンバー。ドラムのヨッケン・リュッカートはマーク・コープランド(p)との共演関係を長く続けており、ハーシュ作では今回が初共演。グレスの2013年リリース作『The Sky Inside』に、ハーシュ関係者のラルフ・アレッシ(tp)、トム・レイニー(ds)と共に参加している。SQのクロスビー・ストリート・ストリング・カルテットはNYCで売れっ子のフリーランス弦楽器奏者のユニットで、ジョイス・ハマンとローラ・シートン(vln)は『My Coma Dreams』でハーシュと共演済だ(同作でCSSQの名称は使用せず)。CSSQはハーシュと初めてリハーサルを行った現地の地名をユニット名に冠しており、本作は両者の強い結びつきを広く紹介する点でも意義深い。
本作は前述の『Begin Again』と同じく、①「ビギン・アゲイン」をオープニング・ナンバーに選曲。その理由を探れば、曲名のニュアンスと合致したことが挙げられる。ピアノとSQのコール&レスポンスを皮切りに、ピアノ・テーマに進んでトリオにSQが絡み、ピアノ・ソロへ移行。約40秒のピアノ独奏を挟んで、トリオ+SQ~SQ&ドラムの短いパートが続き、再びピアノにスポットが当たってメランコリックな演奏が生まれて静かに落着する。『Begin Again』ヴァージョンに比べると、より感傷的なサウンドへシフトしたあたりはSQ効果だと言えよう。
②「アウェイクンド・ハート」は約1分30秒のSQで始まり、それを引き継いだピアノが2分超を独奏。そしてSQのみの短い演奏で終わる4分13秒であり、2リズム抜きのトラックをこの組曲のヴァリエーションと企図したことは間違いない。同じことは約1分のSQで始まる⑥「マラ」にも当てはまり、続いて加わったピアノは同調したり対照的だったりと、右手と左手の動きを追うと面白さが増す。
⑦「ノウ・ザット・ユー・アー」はトリオが外れたSQのみによる3分41秒で、瞑想プログラムの基本的な指示である「座ったら、自分が座っていることを意識しなさい」に由来する曲名と、もの悲しい曲調を重ねて考えれば、ハーシュの企図に思いが及ぶ。
タイトル曲③「ブレス・バイ・ブレス」はSQのイントロの後、ベースとドラムが加わり、最後にピアノが登場。先発ソロのベース~クラシカルなピアノ~終盤を担うSQと、主役が移り変わる6分22秒だ。④「モンキー・マインド」は「瞑想中に発生することがある、談話的で精神的なおしゃべり」で、ベースとヴァイオリンのピチカート、ピアノ&ベース・ユニゾンとドラム、ベースとドラムのコール&レスポンス的な対話で繋ぎ、1分30秒後にピアノが入ると各楽器間の短いやり取りを連続させる展開。ラストまでの点描的な演奏は、本作では異色の仕上がりだ。⑤「ライジング、フォーリング」は「私の瞑想を安定させる胸の動きに関係しています。ベースラインが楽曲を通じて上昇・下降するのが特徴です」。冒頭からトリオ+SQで始まるスロー・ナンバーで、エンディングまでピアノが主導する。組曲を締め括る⑧「ワールドリー・ウィンズ」はSQのメンバーが1人ずつ加わって1分後に4人が揃うと、ピアノがリズミカルにテーマを演奏。右手のフレーズに左手が続くカノン状態のクラシカルなプレイを含むピアノ・パートで本作のハイライトを現出。5分26秒の後半はSQがドラム~ピアノと絡み、最後にピアノが同じフレーズを3回繰り返して組曲を落着させる。
アルバムの最終曲⑨「パストラル」はドイツの作曲家ロベルト・シューマン(1810~1856)への捧げもので、『Alone At The Vanguard』(2011年)、『Solo』(2015年)、『Begin Again』に繰り返し収録された定番曲。ピアノ・アルペジオで始まると、SQのピチカートが現れ、ピアノがそれに呼応して同じような流れを作る。ピアノがバロック音楽的なパートを演じ、トリオ+SQの音圧が上がると、ミュージシャンが入れ替わりながらピアノ&SQでエンディングに到達。46分28秒のプログラムのラストを飾るエピローグに相応しいトラックで、美しく余韻を残す。
なおハーシュは2022年1月4~9日に、NYの名門“ヴィレッジ・ヴァンガード”で新作記念公演を行う予定だったが、コロナ禍の現況を鑑みてキャンセルされた。
【作品情報】
Breath By Breath / Fred Hersch
■①Begin Again ②Awakened Heart ③Breath By Breath ④Monkey Mind ⑤Rising, Falling ⑥Mara ⑦Know That You Are ⑧Worldly Winds ⑨Pastorale (homage a Robert Schumann)
■Fred Hersch(p) Drew Gress(b) Jochen Rueckert(ds) Rogerio Boccato (⑥:per)
Crosby Street String Quartet[Joyce Hammann, Laura Seaton(vln) Lois Martin(vla)
Jody Redhage Ferber(cello) 2021.8.24-25, NY
■Palmetto Records PM2198