50歳を迎えることなく逝去したレコーディング・キャリアの中で、わずか1枚のリーダー作(参加作は無し)を残すにとどまったピアニストがハサーン・イブ・アリ(1931~80)だ。ハサーンはマックス・ローチ(ds)がAtlantic Recordsに推薦し、初リーダー作『Max Roach Trio Featuring The Legendary Hasaan』を1964年12月に録音。著名なローチの後ろ盾を得たピアノ・トリオ作ということもあって、内外で継続的にリリースされてきたのが、ハサーンの存在を知らしめる点では有効だった。88年刊行の「新・世界ジャズ人名辞典」(スイングジャーナル社)にはハサーンの項目があり、限られた情報の執筆によって紹介されていた。

『Max Roach Trio Featuring The Legendary Hasaan』試聴:
ハサーン関連の近年の出来事に関しては、ジョン・ゾーン(as)と親しいピアニストBrian Marsella(1980~)が、クリスチャン・マクブライド(b)を擁したトリオによる『Max Roach Trio Featuring The Legendary Hasaan』のカヴァー作『Outspoken – The Music Of The Legendary Hasaan』(Tzadik)を2018年にリリース。また復帰後の大西順子(p)が組んだアメリカン・トリオのドラマー、カリーム・リギンズ(だったと記憶する)から教えられてライヴ・レパートリーに採用した『Max Roach Trio Featuring The Legendary Hasaan』からの「オールモスト・ライク・ミー」は、大西の2017年発表作『Glamorous Life』(Somethin’ cool)に収録された。

31年前の90年刊行「ジャズ批評 No.68:ジャズ・ピアノVol.1」に、私はハサーンの紹介記事を寄稿している。「“謎に包まれた”という形容がぴったりなピアニスト、それがハサーンだ。何しろ彼が聴ける作品は1枚きりで、その後の消息は一切不明となっているほど。(中略)すべて彼自身のペンによるナンバーはどれも一風変わったメロディ・ラインが実に個性的。加えて演奏スタイルがユニーク極まりない。A③「ホープ・ソー・エルモ」の曲名でわかるように本人はエルモ・ホープからの大きな影響を認めているが、モンクをベースにハービー・ニコルス的スパイスをミックスした感が強い。不協和音を多用したリズミカルなアプローチはセシル・テイラーにさえも通じる。65年のカルテット録音はAtlanticで眠ったままだ」。
最後の文章に関しては、前述の「人名辞典」が「65年8月23日、9月7日のレコーディングは、オディアン・ポープの参加したカルテット演奏だったが未発表に終わっている」と記載。またトム・ロード編『THE JAZZ DISCOGRAPHY VOLUME 9』(94年刊)には、同日録音の計8曲が明らかになっている。

『The Legendary Hasaan』が録音の6ヵ月後にリリースされると、Atlanticはハサーンの次なるリーダー名義のレコーディングを準備。65年に2回のセッションが行われ、ミキシングを終えたところまで作業が進行。しかし発売直前の段階でハサーンが麻薬所持で収監されたため、お蔵入りになってしまう。マスター・テープはニュージャージー州ロングブランチのAtlanticの倉庫に保管されていたのだが、78年に同倉庫が火災に遭い、マスター・テープは消失されたと思われていた。その一方でマスターのコピーがAtlanticのオフィスに存在する、との噂が流れ、真偽のほどは長い間不明の状態だった。

状況に変化が訪れたのは2017年。プロデューサーのAlan Skoenigがラトガーズ大学のルイス・ポーターから、ハサーンに関する問い合わせを受けたことがきっかけとなり、RhinoとWarnerの関係者にコンタクトを取ったところ、Warnerのテープ・ライブラリーに保管されていることが判明。71年から77年の間にコピーが作成されながら、眠ったままだったことがわかったのである。77年他界のラサーン・ローランド・カーク(ts,etc)が生前、オディアン・ポープに「同作をプロデュースしたい」と伝えていたとのエピソードも興味深い。
さらに時間が経過した2018年8月、制作陣に音源が公開されて、プロジェクトが本格始動。2年半ほどを要したが、無事にCD / 2LPのアルバム化がなされた。Hasaan Ibn Ali『Metaphysics: The Lost Atlantic Album』は昨今の欧米で一般化している簡易紙ジャケット(CDは裸で挿入)ではなく、4面デジパック仕様なのが嬉しい。発売元のOmnivore Recordingsは2010年設立で、ロックやポップスを中心にカタログを築いてきた。銀板の表はAtlanticのデザインを踏襲した趣で、制作過程を詳細に記したAlan Sukoenigのライナーノーツを所収する11ページのブックレットを含めて、歴史的作品を世に出すことの気概が感じられる仕上がりだ。

メンバーのオディアン・ポープ(1938~)は67~68年マックス・ローチ・グループに在団し、70年代後半にサックス8名とリズム・セクションから成るサキソフォン・クワイアを主宰。79年に再びローチ・グループに参加後、80~81年のドイツ《メールス・ジャズ祭》出演と、82年の初リーダー作『Almost Like Me』(Moers Music)によって、一躍その名が世界に知られることになったテナー奏者であり、65年の録音時はまだ無名の26歳だった。ベースのアート・デイヴィス(1934~2007)は本作録音以前の50~60年代にディジー・ガレスピー(tp)、ローランド・カーク(sax)、マッコイ・タイナー(p)、アート・ブレイキー、マックス・ローチ(ds)のアルバムで助演しており、本作の録音初日のわずか2ヵ月前にはジョン・コルトレーン(ts)の歴史的問題作『Ascension』(Impulse)に参加したことは見逃せない。コルトレ-ンと言えば、50年代初めに共演したハサーンから影響を受けて、“シーツ・オブ・サウンド”が生まれるきっかけになった、との説がある。
ドラムのカリル・マディ(1921~2007)はビリー・ホリデイ、ザ・スリー・サウンズ、チャールズ・ゲイルとの共演歴があり、本作以前の60年代はデューク・ジョーダンやモンゴ・サンタマリア盤にクレジットがある。

全10曲はすべてハサーンのオリジナルで、うち3曲は収録曲のショート・ヴァージョン。テナー&ピアノ・ユニゾンの印象的なテーマに続き、パワフルなテナー~自由奔放なピアノとソロをリレーする①を皮切りに、テーマ・メロディと独自の発想によるピアノがテーマを形作る②、テナー入りカルテットであることを含めて、セロニアス・モンクの影が濃い楽想が興味を惹く③、どことなく「ルビー・マイ・ディア」を想起させる④、テナーとピアノが同時にソロをとっているような⑤、ピアノが先発ソロをとり、2番手のテナーを楽曲のハイライトとした⑥、前半にポープがたっぷりとしたスペースで自己表現すると、デイヴィスにもスポットがあたる⑦と進行。常識や予定調和を突き抜けたピアノ・プレイが衝撃的であり、テナー・サウンドからはハサーンがポープを念頭に置いて作曲したことが明らかだ。そんなリーダーの意気に応えてアグレッシヴなプレイで暴れ回るポープは、前出のMoers Music盤に認められる個性をすでに発揮していたとわかり、本作が世に出た歴史的意義も深い。
真に創造的かつ独創的なジャズを求めるリスナーに絶対聴いてほしい発掘作である。
